【映画感想】『恋のクレイジーロード』と田中俊介と地獄のハニーバニー&パンプキンパイ

※鑑賞当時書いたものを下敷きに改稿しています。

 

先日2018年5月5日、推しことBOYS AND MEN田中俊介くんと芦那すみれさんのW主演の短編映画「恋のクレイジーロード」(白石晃士監督・脚本)初日舞台挨拶上映を見に、名古屋シネマスコーレまで行ってきました。

まずは予告をご覧ください。

 

 


『恋のクレイジーロード』予告編

 

 

以下、映画のネタバレを完全に含んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また山に死体を捨てに行っている。

 

この作品、そもそも名古屋のインディー系ミニシアター「シネマスコーレ」の副支配人・坪井篤史さんが東海テレビの映画情報番組「映画MANIA」での共演をきっかけに田中俊介と出会ったのち、田中の初主演作「ダブルミンツ*1で俳優・田中俊介に病的なまでに惚れ込み、周囲の映画監督に彼を熱烈にプレゼンしてまわった結果、ニコニコ動画で「白石晃士と坪井篤史の映画狂人ロード」を共に放送している白石晃士監督の「ぜひ私の映画にも出て頂きたい」という直々のオファーを引き出し実現した作品なわけですが。*2

共依存の男と男が山に死体を捨てに行くところから始まる作品を発端に作られた作品が、その翻案かアンサーソングのように今度は超共依存の男と女が山に死体を捨てに行くところに始まり、しかも「ダブルミンツ」でみつおを演じていた田中俊介が、今度はみつおの女の子版みたいな女子と一緒に、というのは、映画ダブルミンツファンには早々にクスッとできるポイントではないでしょうか。

 

死体を捨てに行っているっていうのは映画の終盤に明らかになる事実なのでブログのしょっぱなに書くようなネタではないんだけれど、宙也(田中俊介)とすみれ(芦那すみれ)が抱えるトランクのさびれた田舎道を行くバスには不釣り合いな大きさと、矢島(細川佳央)の「何これ臭!中身なに?ゴミ?」というセリフと、ゴミを捨てに山に向かっているというくだりで、ごくごく自然に「そうか〜死体が入ってるんだなあ〜」と思ってしまったのは、私がわるい映画やドラマを見すぎているからではないと思う。多分。

 

バスの最後部座席につがいの小動物のように丸まったふたり。柔らかなキャメル色のダッフルコートにくるまって見るからにおどおどした態度の宙也よりも、黒づくめのゴスファッションに身を包み高圧的な態度のすみれの方が、内心どこか不安を抱えているように見える。*3

 

そして、そこにすみれの不安を具現化するように女装男(宇野祥平)が姿を現す。

 

多重人格者で殺人者の恋人、密かに宿しているその恋人との間に授かった命、トランクの中に詰まった死体、何にもない終点に向けひた走るバス。

宙也にどれだけ愛情を注がれていても、どれだけ虚勢を張っていても、すみれの行く先は迷いと不安だらけのどん詰まりだ。

一方、突然現れ宙也に熱烈に求愛しすみれに宙也との別れを迫る女装男は、宙也と同じ殺人者で、何の躊躇もなく死体を増やし、妊娠することもなく、赤信号も無視してバスを爆走させる。女装男は、すみれの抱える一切の不安から解き放たれている。

 

すみれがそれでも宙也と離れない道を選び、宙也も弱さを振り切ってふたりが女装男に立ち向かった瞬間、映画にマジックが起こる。

 

ここからのくだりは同時上映の「メイキング・オブ・クレイジーロード」*4を見て鳥肌が立ったんだけれど、「シングルマン」で監督のトム・フォードが恋人を喪ったコリン・ファースの芝居にカットをかけず撮り続けたように、白石晃士監督も人格が入れ替わり豹変する田中俊介の芝居に本来の場所でカットをかけず映画は走り続ける。赤信号でもレッツラゴーだ。

己と同じ異形の本性を顕にした宙也を見て女装男が上げる歓喜の叫びは、そのまま演者・宇野祥平の、白石監督の、そして我々観客のそれだったと思う。それ!いつだってそれが見たいんだ私たちは!

 

ここのシークエンスでの女装男の涙が本来シナリオにはなかったものだとパンフレットで知ってとても驚いたんだけれど、涙の理由について宇野さんは「うーん…ちょっと覚えてないですね。でも、寂しかったっていうことですかね。寂しいというか、『受け入れてもらえなかった』という感じかな」と話していて、それはつまり、女装男にとって宙也が、探して探してやっと見つけた運命の同じ生き物であると確信させた上で、それでも選ばれなかった、という拒絶に対する感情を揺さぶった結果の涙ということで…それには、田中俊介=宙也が怪優・宇野祥平=女装男と同等かそれ以上の熱量と狂気を全力でぶつけて感情を引きずり出す必要があったわけで…。田中俊介、いい仕事したなあ!!(推しなので屈託なく褒めます!)

 

カットが変わりラストシーン。

夜の闇の中、今度はバスを走らせているのはすみれで、もう迷いも不安も消え去っている。

妊娠を打ち明けられ、幸せそうに、そしてどこか妖しい微笑みを浮かべて寄り添うふたりの黒髪と黒い服が薄闇の中で溶け合って、結合性双生児のようでもあり、真っ黒な比翼の鳥のようでもあり…。

私はこのシーンがとても好きなんだけれど、(主演おふたりの顔立ちも手伝って高橋葉介先生の絵のようで。画像参照。)これは驚いたことに撮影期間1日という超強行スケジュールがズレこんでラストシーンが予定外に夜になってしまった結果だそうで。でもこれも結果オーライの映画のマジックじゃないのかな。

 

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冥王星』より(「夢幻外伝①死者の宴」高橋葉介・著)

 

これは全く蛇足なんですが、わるい映画のわるい影響を受けて育ってきてしまったので、最後の最後にバスが大揺れするなどしてふたりに包丁が突き刺さったり、バスの横っ腹に突然トラックが突っ込んできたりして暗転、ってなるかと思ったりもしたけどならなくてよかったです。ハッピーエンドでよかった。(ハッピーエンド?) 

あと、死体が小分けして真空パックされてるのが几帳面でキュートだな〜と思いました。

 

 

前述の通り、この映画は坪井さんのいわば“俺の推しを俺の推し監督に撮ってもらい俺の映画館でかけて世間に見せびらかしたい”というオタクの夢の具現化みたいな映画なんですけど(いいなー)、このオタク(便宜上オタク呼び失礼します)なんせコネクションが太いので、これを書き直してる2019年下旬に入ってもまだこの先の上映予定が控えてるし、これをひっさげて新たな監督に推しを撮らせるプレゼン宣材にもなってるんですよね。(いいなー)短いけれどコンパクトにまとまった推しプレゼン資料…。*5

 

そして実際これきっかけで自作に田中俊介を招聘してくれている監督はその後続々と続いてるんですけど、まだライアン・ゴズリングのレフン、デンゼル・ワシントンのフークアみたいな“俺のミューズ”監督は現れてないと思ってるので、まだまだこれから田中俊介争奪戦が起こってくれるといいな〜と期待しています。

メイキングでも言われていますが、本人も「映画の道具」になりたい熱意おおいにある人なので、どんどんいろんな作品と監督の道具になって、この先もいろんな顔と魅力を開花させていって欲しいな。*6

*1:2017年、内田英治監督・脚本、原作・中村明日美子淵上泰史さんとのW主演

*2:坪井さんは「恋のクレイジーロード」のプロデューサーにも名を連ねており、その後1年以上に亘る全国舞台挨拶上映行脚に出掛けています。2019年8月現在まだ終わってません。

*3:そんなところもダブルミンツに通じるところですね。

*4:なんとメイキングの方が本編より長い。本編18分、メイキング29分!

*5:しかし往々にして同時上映になるプロデューサー個人の密着ドキュメンタリーが一番長いのには閉口しております50分くらいある…。恋クレ同時上映は超エドガーケイシー+恋クレ+メイキングの3本立てが一番好きです。

*6:でもボイメンにも帰ってきてね…。2019年8月現在、まだグループ活動お休み中です…。

Beautiful Day / 推しと仲間と希望のパンくずのこと

推しことBOYS AND MEN田中俊介くんの出演する少年社中さんの朗読劇「ダークアリス」を観劇しに池袋まで行ってきました。*1

www.shachu.com

 

※このエントリーは朗読劇「ダークアリス」のネタバレを含んでいます。

 

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田中俊介君の出演回は5/31の昼・夜の2回、共演者は小島梨里杏さんと永塚拓馬さん。
あらすじをざっくり言うと、小島さん演じる主人公の亜梨沙が、無自覚のうちに犯していた「己の罪」の正体を知るため、「アリス」として不思議な世界を巡り、その世界の住人と出会っていく中で、犯した罪とは何だったのか、そして本当に大切なものは何だったのかを知る…というお話。
たどり着いた亜梨沙の罪の答えは、他人や職場という周りばかりを尊重し自分自身をないがしろにすることで、結果的に亜梨沙の最愛の人である恋人・佑にとって一番大切な、かけがえのない宝物=亜梨沙を壊し、佑の心までも傷つけていたことでした。

田中俊介くんが演じていたのは、物語の狂言回し的なポジションになる全体の地の文の語り部と、不思議の国で亜梨沙を導いていく黒うさぎ。
語り部の深く落ち着いた声色と、黒うさぎの時にコミカル、時に感情をほとばしらせる声色の使い分けが印象的でした。*2
そんな中、何より感情が揺さぶられたのが、物語のヤマ場で黒うさぎが亜梨沙に向かって訴えるこのセリフ。

「君は君自身を傷つけすぎたんだ」
「君は君が思っている以上に価値があるんだ。簡単に傷つけちゃいけないよ」

 
そ、それは……それは君が去年調子を崩してグループを離れて以来、ずっと我々ファンが君に言いたくても言えなかった言葉じゃないですか……。

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奇しくもこの公演の当日、地元から東京に向かう朝、U2*3の実に13年ぶりの来日公演が告知され、わたくしもう舞い上がってしまって、公演の直前までそして終わって地元に帰るまでspotifyでずっとU2を聴き続けていたんですね。*4
わたくし常々、「エモーショナルなロック」が「emo」の定義ならばこの世にU2BON JOVIよりエモいバンドはいないと思っていて。本当に、本当にこんなにも、粉々に砕けそうな心に寄り添って、包み込んで、支えてくれる音楽は他にないんですよ。
脱線気味にはなりますが、打ち砕かれて折れそうな心に染み渡る名曲・わたくし内ランキング永遠の殿堂入りの大名曲「Beautiful Day」をここに紹介させてください。いいじゃん俺のチラシの裏だから。毎度ながら拙訳の意訳ご了承ください。


U2 - Beautiful Day

The heart is a bloom, shoots up through stony ground
But there's no room, no space to rent in this town
You're out of luck and the reason that you had to care,
The traffic is stuck and you're not moving anywhere.
You thought you'd found a friend to take you out of this place
Someone you could lend a hand in return for grace

心は花のように咲き誇り 石ころだらけの地面を突き破り芽吹く
でももうここに居場所はない 借りられる部屋もこの街にはない
君は運から見放され 守るべき理由も失った
道路はひどい渋滞で 君はどこにも行けやしない
君はここから救い出してくれる友達を見つけなきゃと思う
かつて手助けした誰かが今度は助けてくれる筈と

It's a beautiful day, the sky falls
And you feel like it's a beautiful day
It's a beautiful day
Don't let it get away
すばらしい日だ 空が降ってくるよ
そして君は思う すばらしい日だと
美しい日だよ
どうか逃さないで

You're on the road but you've got no destination
You're in the mud, in the maze of her imagination
You love this town even if it doesn't ring true
You've been all over and it's been all over you
道の上に立つ君 でも行き先がわからない
ぬかるみにはまり込み、空想の迷宮に囚われてる
君はこの街を愛してる たとえそうは思えなくてもね
君にはここが染み付いてるしここには君が染み付いてる

It's a beautiful day
Don't let it get away
It's a beautiful day
Don't let it get away
すばらしい日だ
どうか逃さないで
美しい日だよ
目を背けないで

Touch me, take me to that other place
Teach me, I know I'm not a hopeless case
僕に触れて あの場所まで連れ去って
導いてくれ まだ望みはあるはずだろ

See the world in green and blue
See China right in front of you
See the canyons broken by cloud
See the tuna fleets clearing the sea out
See the bedouin fires at night
See the oil fields at first light
See the bird with a leaf in her mouth
After the flood all the colours came out
It was a beautiful day
A beautiful day
Don't let it get away
見えるかい 緑と青で彩られた世界
君の右手に広がる中国
雲の切れ間に広がる渓谷
海を一掃していくマグロの一団
ベドウィンの野営の炎
油田に灯るはじめての灯り
ご覧 オリーブの葉を咥えて戻った小鳥を
洪水が終わり生まれ出たあらゆる色彩を
美しい日だよ
目を背けないで


Touch me, take me to that other place
Reach me, I know I'm not a hopeless case
僕に触れて あの場所まで連れ去って
手を差し伸べて まだ望みは捨てちゃいないさ

What you don't have you don't need it now
What you don't know you can feel it somehow
What you don't have you don't need it now
You don't need it now, you don't need it now
Beautiful day
君が持っていないもの 今は必要ないからだよ
君がまだ知らないもの いつか感じられる時が来るよ
君が持っていないもの 今は必要ないからだよ
今は必要のないもの 今は必要のないものさ
すばらしい日だ

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Beautiful Dayを改めて聴きながら、音楽が、歌詞が人の心を救済する力について考えていたんですけど、ちょうど先日、ボイメンtwitter界隈でもこんなエモいやりとりがありましたね。

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田中俊介不在のままリリースされたボイメンの新曲「頭の中のフィルム」発売日におこなわれた、新曲の歌詞を粋に引用したボイメンオタク感涙のやりとりでしたが、*5直接ソロイベントでリーダー水野勝にあの新曲は田中俊介に向けてのものなのかという質問をした方もおられたそうで(水野はやんわりと否定したそうですが*6)あれはやっぱみんなそう思ってたっていうか感じてしまうよな〜そうだよな〜タイムリーすぎるもんな〜仕方ないよ〜〜と頷いた次第。*7


BOYS AND MEN - 「頭の中のフィルム」MV


果たして真相はどうなのかという無粋な話は横に置いておくとして、聞き手がどう受け取るか、受け取ったものをどう解釈して、どういう想いを乗せて、どう飲み込むかは完全に自由なんですよね。そこに正解はないし、聞き手の数だけ答えがある。そして聞き手は同じでも聞くその時々の心情やシチュエーションでメッセージも気づきも流動的に変わる。そういうのが音楽と歌詞のすてきなところだと思っています。だから大切な音楽は末長く人生に寄り添ってくれる。

正解なんて無くても良くて、今この曲が、ボイメンの現状を嘆いて苦しんでいる一部のファンの心に救済として響いていて、もしかしたらメンバーたち自身にも同じように響いている可能性がある、のかもしれない。答え合わせしなくてもそれだけでも充分ではないかな、と思います。

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話はぽんぽん飛びますが、今年2月に封切られて以来、日本と世界の各地で今も上映を続けている田中俊介くんの主演作「デッドエンドの思い出」も、傷付いた心がふたたび前を向いて再生していくまでの物語でした。
撮影されたのは去年2018年の早春、まだまだ田中俊介が調子を崩すずっと前のことで、まさかこんな状況になるとは本人も想像していなかったと思いますが、今改めて見ると、ここ最近のベキベキにへし折れた田中推しの心、そして多分本人にも突き刺さるようなメッセージが劇中から発せられている…!と感じる部分が多々あります。

ボイメン自体が前々から負けそうな誰かを応援したい!引っ張り上げたい!という活動をしているからというのもあるでしょうけど、今回の新曲「頭の中のフィルム」もカップリングの「ONE WAY」も、衣装やPVもあいまって、本来の意図はどうあれ残りのメンバーが田中俊介に必死に手を伸ばして救い上げようとしている感触を感じずにはおれないものになっていると思います。

そして冒頭でふれた今回の「ダークアリス」でのセリフに話は戻っていくんですが、こういう、過去のそして現在の自分たちが誰かを救おうとして、誰かに届けようとして発していたメッセージが、結果として今の彼ら自身の心にいい意味でのブーメランみたいに返ってきていたりするんじゃないかしら、と、件のセリフを読み上げる田中俊介の声が少し涙でこもっているように聞こえるのを感じながら思っていた次第です。
これまで彼ら10人が、悩んで苦しんで迷っている人たちを導くために撒いていたパンくずが、いまの彼ら自身を導いてくれていたらいいなと思います。

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まー全体的に感傷的で甘い希望の話ではありますけどね、双方想い合って引き合っててくれよっていう。でも希望にしても音楽にしても舞台や映画でも何にしたって、陶酔が救済になることはあるんですよね。
甘っちょろかろうが何だろうが、それが絶望の淵に沈むのを救ってくれる綱なら掴まない手はないと思いますよ。拾えるならパンくずだって拾うよ。笑いたい人には笑わせておけばよろしい。

1日も早く、大切な10人が10人に戻れる日を祈りながら待っています。
I know it's not a hopeless caseでしょ。

 

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追加

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わたくしが駄文(これ)をこねこねしてる間に…

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うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん(涙)

*1:リーディングシアター「ダークアリス」池袋サンシャイン劇場にて 2019年5月29日〜6月2日

*2:あと、他の演者さんが演じている間の表情や目線の投げかけ方。映画での芝居の時もそうだけど、自分がメインじゃない時も一瞬も気を抜かない姿勢が、ボイメンのライブ中、ずっと歌詞に合わせて表情を作ったりファンに笑いかけたりして一瞬も顔がさぼってないあの姿勢と同じ!とちょっとグッときました。

*3:言わずと知れたアイルランドの至宝。

*4:直前まではボイメンの新曲「夢Chu☆毒」を1曲リピートしてました。大好き。10人でやってくれ。

*5:現在グループから完全に距離を置いている田中俊介側からボイメンに向けたと思われるメッセージが出たのはこれが初めて。

*6:「楽曲を作るのは大変な事なのに、勝手に内容を決めつけてしまうようなことはよくない」みたいな答えだったようで。礼儀正しく義に厚い水野らしい。あと「田中に向けてるなんてことにしたら、田中だって嫌だろうから」ですって。男の子たちの不器用な優しさ。

*7:ていうかこれもう、つじちゃん個人はどういう想い込めて歌ってるか正解出ちゃってるなってやつですけど。「自分が誰かの人生をよりよくできたら」という願いから教員を、そして「教員よりもっと多くの人に関われるように」と芸能の道を志したつじちゃんの、そういう実直なやさしさが心から大好きです。

【映画感想】Cosmic Blue

※この記事はいち個人の感想です。ネタバレにも一切配慮していません。

 

自身も子役からの長いキャリアを積んだ俳優でもある柳英里紗という監督の新作短編映画に、BOYS AND MEN田中俊介くん a.k.a. 推しが主演するらしいぞという知らせをtwitterで聞いたのが、今年2019年2月あたまだったでしょうか。

それから2ヶ月、先日4月に東京で行われた「ラブラブラブシネマ2019」で発表されたのが件の短編「Cosmic Blue」だったわけですが、残念ながら私は会場に駆け付ける事ができなかったので、ま〜年内にはどうにかワンチャン見れたらいいな〜…くらいのボンヤリした展望で展開をお待ちしていたらば、名古屋シネマスコーレ*1でこの5/4~17まで開催されていた「田中俊介映画祭」でのシークレット上映*2が行われまして、おかげで無事鑑賞が叶いました。よかったよかった。

しょうみな話、私はさぬき映画祭での一報をtwitterで知るまで柳監督の事を寡聞にして存じ上げなかったので、*3もちろん前作「VERY FANCY」も見ておらず、さぬき映画祭もラブラブラブシネマも不参加だったので、監督の作風も人となりも技量も何もかもが未知数な中、入ってくる情報は本人と周辺のtwitterinstagramのみという状況で、*4めちゃくちゃぶっちゃけますけど「えっこの人大丈夫…?」「これは最悪、専門学校生の自己満足身内ウケ製作物レベルを覚悟したほうがいいのか…?」くらいの覚悟をしていた。すいません。

それで実際作品を見てみてどうだったかといえば、想像よりは全然ひどくなかった。
有り体に言ってしまえばもっとおちゃらけてるというかナメた態度かと危惧してたけど、むしろ、ちょっと肩に力が入りすぎてんのかもな〜くらいな印象だった。もっとパリピが身内ノリでキャッキャしてるようなもんが来るかと身構えてたけど、むしろパリピの皮を被った専門デビューの頭でっかちサブカル隠キャのビレバン常連みたいな感じ。*5
全然褒めてないやんって?いやそもそも褒めようとしてはいないんだ。

先に総括言ってしまうと、想像よりはひどくなかったけど、良かったかと言われれば良くもなかったんすよね……。
いやでも、やりたいことはわかる。わかる…けど…成功してるかと言えば成功はしてないな…みたいな…。野心的っていうところも意欲作ってところもまあ伝わるけど、だからって良作佳作ではないんじゃないかな〜って、どうにも奥歯にものが挟まったみたいな言い方になっちゃうけど…。ていうかほんと口さがなくてすいませんね、でも個人の感想だしお金も払ってるから言いたい事言わしてもらいますけど。

田中俊介も「柳さんは"賛否両論"欲しいんだと思うんすよ、"否"の方も」って言ってたから、賛じゃないこと書かせてもらうねごめんねここが俺のチラシの裏だからさあ…。

 

重ね重ね不躾ながら、専門学校生女子ノリのゆるふわ〜⭐︎ゆめかわ〜⭐︎KAWAII女子最強ズッ友BBF〜〜⭐︎みたいなのがくるぞくるぞ、さあどうしてくれようか…と斜に構えてたのに、蓋を開けたら結構ハードコアにヌーヴェルヴァーグなアートムービーやりたい人が正座しててびっくりしたんですよ。
シネマスコーレでかけてるけどこれシネマテーク*6色のやつじゃんって。

冒頭の公園で遊んでるシーン始まって10秒くらいは「ハ?おいおいやっぱりかよふざけんなよ…」って眉間にシワが寄ってたのが、20秒、30秒と伸びてくにつれて「あっ違うわ、この人ゴダールになりたいってかヌーヴェルヴァーグやりたい人か」って理解して、そっから先はわ〜がんばれがんばれ…という気持ちで見守ってたんだけど…。
でも、鑑賞者ががんばれがんばれって応援しながら見守らなきゃならん映画って、それは決していいもんではないよね。我に返りすぎてて。
私も別にその道の専門家でもなんでもないけど、でも、こういう方向の作品にはもっと、有無を言わせず巻き込んで飲み込んでいく力がないと、正直きついんじゃないかな。
実際、場内の反応見てても*7、上映後一切間を置かず(他の上映の時は登場までもったいぶってたのに)すぐさま「いや〜!難解すぎんだろ!!」って叫びながら舞台にすっ飛んで行ってフォローに回ってた田中俊介見てても、それは如実に感じた。

作品見ながら私が「監督はああいう雰囲気がやりたいんだろうな〜」と、画面や全体の見せ方に関して思ったのはこのへんなんですけど(ヌーヴェルヴァーグばっかじゃないけどご容赦ください)*8


映画『ひなぎく』予告編

 


La Chinoise + Le Gai Savoir – Jean-Luc Godard – Restoration Trailer



「アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ」予告



The Holy Mountain (HD Trailer - HD) | ABKCO Films ※グロ耐性ない人気をつけて

こういうタイプの作品って、まず最初は筋が理解できなくても、理屈抜きで引き込まれてしまうくらいの圧倒的な力と魅力に巻き込まれて、よくわからないけど最後まで見ちゃったぞ、ああよくよく反芻してみるとそういうことだったのか…っていうこと、ままあると思うんですが、「Cosmic Blue」にはまずその巻き込む力がまだ足りないと感じてしまったんだよなあ…。そこが弱いと、観客って残酷だから、たとえ20分ちょいの短編であっても、読み解こう、理解しようと思ってもらうことはおろか、まず最後まで見てもらうことすら難しいから…。*9
もちろんこの作品に感性が響き合うタイプの人もいるだろうなとは思うけど、これはまだその狭い一部の枠の中にしか刺さる力がないと感じた。

あと、舞台挨拶でも話されてたように、私も「余命がいくばくもない宇宙人たちが、享楽的に最後の時間を貪り、全員がひとりの地球人に恋をして彼を求める」っていうのが話の大筋と受け取ったんだけど、(ていうかここはわかりやすかったと思う)途中でキャラクターが「地球人は〜」って自分たちが宇宙人である事をネタばらしするようなセリフを言っちゃうのが、これは個人の好みもあると思うけど私はソレ要る?っていうかちょっと日和った?って思っちゃったな〜。どうせ難解にやりたいなら安牌投げずに最後までとことん不親切に押し切ってもよかったんじゃないかな。不親切にっていうか、そのパンくず撒かなくても観客も結構読み解く力持ってるし、ちゃんと辿り着けるので観客と作品の力信じて大丈夫だと思うんだけどな。*10
これも個人の好みだけど、わりと序盤にある「何やってんだろうね〜全然カットかかんないね〜(笑)」っていうメタなセリフも、ここから先にメタ構造頻発するのか?っていう鑑賞者の迷いを生むノイズになるから切ったほうが話に集中できたな…とも思った。小ネタ入れたくなっちゃう気持ちはわかるんだけど。
余計なパンくず撒かなくていい代わりに、つまずくような石は取り除いといてほしい。難解な構造や抽象をやりたいならなおさらに。

これは同時上映との兼ね合いとたまたま私っていう鑑賞者のその日の気分にも依存する話になってくるからちょっとアレなんですけど、名古屋で「Cosmic Blue」が上映された日は内田英治監督の「シェアハウス」が同時上映されていたんですね。
私はかねがねから内田作品の画面がすごく好きで、でも自分でもその理由がわからなくてあれこれ考えた結果、ジョージ・ミラー監督が「マッドマックス 地獄のデス・ロード」を撮るときに「観客の集中を削がず尚且つ重要なファクターを見落とさせないために、重要なものや事件はすべて画面の中央に持ってきている」と言ってたのをどっかで読んだのを思い出して*11、内田監督の画面の安定感にももしかしてこれが関係しているのでは?と「シェアハウス」上映中ずっと画面の中心や水平や比率や視線誘導やそういうところをやたら注意深く見てたんですよ。
その後の「Cosmic Blue」だったので、冒頭の公園からもう画面の中のバランスその他が気になって気になって…。人物2人がアップになるようなカットでも何で中心そこやねんとか…。
前述の事置いといても、わたくしが「パリ、テキサス*12のゾッとするほど完璧な画面レイアウトに心酔してるような人間なんで、これも本当に個人の好みの話になってしまうのかも知れないけど…あと、画面の不安定さも狙ってやってんだろうなとは思ったけど…でもこう…見せ方の足し算引き算というか…こっちにブレを出したいならこっちは安定させておかないとアクセントにならないじゃん、印象付けたいブレが埋もれて全てがブレブレになってしまうやんっていう…。つ、伝わるのかなこの感情〜。まあいいや個人の感想覚え書きだから〜。(ここにきてまだ逃げを打とうとする)

あ〜しかし、こんだけぐるぐる考えて、書いて、表層のストーリーも読み取って文句のつけどころまで見つけてても、映画の主題が何だったのかまではたどり着けてないんすよね…。たどり着けてないっていうかここは正解探さなくても観客それぞれが自分なりのものを受け取ればいいところだと思うんだけど…。

ここまで散々"賛否"の"否"ばっか書いてきたので、じゃあお前は「Cosmic Blue」嫌いだったんですね?と言われれば、実際それも違うんすよね…。いや確かに好きではないんだけど…。嫌いというほどの強い感情は持ってないし、これを作ったこと、自信を持って世に送り出したことは賞賛されていいと思う。
これは映画でもアートでも漫画でも何でもそうなんだけど、まず作ること、そして人前に出すこと。このスタートラインより前にある2つが、簡単に見えてどれだけ難しいことか。
しかも、このタイプの作品、自分や身内がたとえどれだけ気に入ってようが、どう考えても広く万人受けするものではないわけで、それでもその道を行くことを選んで、作品を作り上げて、これが私です!!って堂々と出せるっていう、そこは絶対に評価されて欲しいし、否定もしたくない。これは自分もものづくりする側っていう欲目もあるかも知れないけど。
そして、「オーシャンズ8*13の最後のカットで嗚咽を漏らしたような人間なので、女性監督、しかも俳優出身とかそれはもう頑張って欲しい…!!という気持ちも大いにあるわけですよ…。
ただなあ…それが作品そのものの評価、しかも観客目線のとなってくるとまたそれは話が別じゃんね〜ってなるわけですよ…。好きとか嫌いや合う合わないはもうどうにもなんないしね。う〜ん遺憾。一生懸命頑張りました〜や応援した〜いや次作に期待〜で評価してたら全員アカデミー賞だもんなあ。
(でも、あんまり合わなかったなーって映画が何で合わなかったのかってことについて考えるのも、結構意味がある行為だと思ってる。このエントリーもそうです。)

ただ、これ実は鑑賞後に舞台挨拶聞くまで知らなかったんですけど、これってまだ監督2作目らしいですね。もう柳英里紗映画祭が開催されてるっていうから、もう何本も撮ってるのかと思ってた。だからま〜それは方向性がニッチなの置いといても誰もが手放しで褒めるような作品ではないのも仕方ないのでは〜?とは思いました。
「次作に期待」って、つまり今作はパッとしないねって言うのと同じだからあんまりいい言葉じゃないけど、でも、意欲的野心的に敢えてこの方向性を選んだなら、貫いて今回ポカーンとしてた観客をあっと言わせてくれよな〜って。何年もの鳴かず飛ばずの苦境を気合いと根性でなにくそと乗り越えてきたその主演俳優を推してる人間は思ったりするわけです。

 

ま〜長々々と書いてきましたけど、最初の方で言ってた総括「思ってたよりひどくはなかったけど良くもなかった。でも野心的な意欲作だとは思う」って気持ちは伝わりましたかね…。難解で抽象だから好きじゃないって訳じゃないんだよ〜。ジム・ジャームッシュ「リミッツ・オブ・コントロール」とかパオロ・ソレンティーノ「グランドフィナーレ」とかヤン・シュワンクマイエル全般とかめちゃくちゃ好きだし。でも難解で抽象っぽい構造にするのも、「難解に見えるけど実は単純」「抽象的にしないと色々カドが立つ(政治批判など)」「単純に監督がブッ飛んでる」その他色んな理由があると思うんだけどこれは何でなのかな…いや別に「単にやってみたかった」でももちろんいいんだけど…まあいいやこの話キリがないわ。やめやめ。

 

ていうか、ここまで散々書いてきて今更だけど、監督も映画祭主宰もエゴサの鬼みたいな人たちなのにこれ書いて公開すんの正直めっちゃ気が重いので巻き込み事故させて欲しいんすけど、このエントリーは自分の覚え書きとしてに加えて、「Cosmic Blue」が理解できた気がしなくて好きになれなくてつらい、というメッセージを送ってきたあなたのために書きましたよ!

いいんだよすべての映画を好きにならなくても!推し監督作だろうが推し俳優が出てようが、そういうことはあります。あと今作が好きじゃなくても次作は大好きかも知れないよ。そんな絶対他人と同じ正解を探して理解しなきゃいけない好きにならなきゃいけない修行みたいな気持ちで映画館行っても楽しくないから、もっと気持ちを楽にして、映画を楽しんでくださいね。


あ!そうだ!!忘れてたこれだけ最後に書いとく。
青い血液が医療にも使われてる海洋生物ってイカじゃなくてカブトガニだよね?

*1:名古屋駅西にあるミニシアター。ここ2年ほど副支配人の坪井さんが病的に田中俊介を推している。

*2:予想の範疇なシークレットではありましたが。しかも監督本人が映画祭公式より先に上映を発表してしまいそれに主演俳優が反応し映画祭公式が慌ててフォロー情報を出すというフライング発表。

*3:出演されてる作品はいくつかタイトル見て「あ〜〜〜???」ってなったんすけど…「岐阜にイジュー!」とか…ながら見だったからなあ…

*4:あと、わずかなさぬき参戦組の舞台挨拶感想ツイート…。これも私が見かけたのはあんまりポジティブじゃないものばっかだったんだけど、後日、田中俊介映画祭でスコーレ坪井さん&田中俊介も坪井「あの時の柳さんの態度が、ま〜悪かったですね」田中「ぼくで〜ら嫌われてましたね」と話してたので実際あんまりいい状況ではなかったのかな。でもそれは引き合わせる人の紹介スキルやタイミングも大事なのでは…?

*5:舞台挨拶で田中俊介も言ってたけど、監督はじめ映画内でもSNSでも全員キャッキャしてる風に振舞ってるけど本当は全員真面目で静かで暗いタイプなんじゃないかな…という印象。

*6:名古屋今池にあるミニシアター。アートムービーやドキュメンタリー、歴史的名画リバイバルなどが得意。

*7:当たり前だけど田中俊介を見にきてるお客さんばっかなので、田中俊介が「おれにもカワイイって言って〜!」て言うようなくだりではワッと声が上がったりはするんだけど。

*8:舞台挨拶では、青い血が流れる宇宙人は岡本喜八ブルークリスマス」からではないか、とか、宇宙人たちが地球人の男の子に恋をするのはジョン・キャメロン・ミッチェルパーティで女の子に話しかけるには」の影響では?という話も出てました。

*9:ピーター・グリーナウェイの短編とか、ひたすら窓枠が映される中、窓からの転落事故データがナレーションされ続けるだけみたいな意味わからなさだけど、なんか見ちゃうんすよね。引力がおかしい。

*10:これは完全に横道に逸れる話だけど、先日公開されてた「ギルティ」が完全に観客の想像力を信頼した構造で見てて大変気持ち良かったですね!映画と観客双方の力をもってはじめて完成する映画でした。落語と講談の国の民なのでうれしくなっちゃったな。

*11:これ出典が全然思い出せなくてすいません。記憶違いの可能性もあります。

*12:言わずと知れたヴィム・ヴェンダース監督の超超名作。ラブ。胸に迫るストーリーもさることながら徹底したレイアウトと色彩設計ぜひ一度見てください。セリフがなくても画面が語りかけてくる。

*13:女も男も全員見てくれ。こんな映画が作られる時代になって本当によかった。

【映画感想】デッドエンドの思い出

推しことBOYS AND MEN田中俊介くんがスヨンさん(少女時代)とW主演している日韓共作映画「デッドエンドの思い出」(原作:よしもとばなな)を見てきたので、その感想をつらつらと述べます。

 

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見てきたっていうか、しょうみな話、まずとりあえずの編集が仕上がったばっかりの2018年9月のあいち国際女性映画祭での特別先行試写から、同年12月の完成ほやほや披露上映、2019年明けてから新たな上映館が加わるたびに行われている舞台挨拶付き上映…と、なんだかんだでもうかれこれ10回くらい見てしまってるんだけど。そして、これを書いている3月14日で上映が終わる劇場も多いのに今更遅いわって話なんだけど…。これから上映始まるところもあるし、そもそもこれは個人の覚え書きなのでご勘弁願いたい。

 


映画『デッドエンドの思い出』予告編

 

・「デッドエンドの思い出」あらすじ

30歳を目前にして、ごく普通の日々を送っていた韓国人女性・ユミ(スヨン)。ひとつだけ気にかかっている事があるとすれば、仕事で名古屋へ行ってしまった婚約者テギュとの未来だった。そんなユミはふと思い立ち、テギュに会いに名古屋へと向かう。久々の再会を待ちわびていたユミが、テギュのアパートで見たのは、見知らぬ女性の姿だった。突然知らされたテギュの裏切りに絶望し、あてもなく街をさまようユミ。そんな彼女がたどり着いたのは、エンドポイントという名のゲストハウスを兼ねた古民家カフェだった。エンドポイントのオーナー・西山(田中俊介)は不思議な存在感でユミに寄り添い、カフェに集うちょっぴりおせっかいな常連客たちも傷ついたユミの心をゆっくりと癒していく。そして西山の心の傷に触れた時、ユミの中で確実に何かが変わり始めた……。

(以上 映画公式サイトより引用)

 

 

※以下、この文は映画・原作双方のネタバレを含んでいます。

 

 

恋愛主義改変断固ノー

まず、すごく重要だと思ったのは、この映画は恋愛映画ではないということ、その軸足にブレがないということ。

 

この映画は、平成15年に日本人女性ミミを主人公にして書かれた短編小説をまず韓国人女性のユミが日本を訪れるというかたちに改変していて、主人公のポジション以外にも、西山くんのお店もバーからゲストハウス兼カフェになっていたり、街の人々や名古屋の街が多く組み込まれたり…と、日韓ふたつの国をまたぎつつ2019年の現代の感覚にも沿うようかなり大胆なアレンジが加えられている。でも、それでいて原作の主軸を損なわないよう丁寧に気を配って再構築されていて、映画鑑賞後に原作を読んだときにはよくぞここまでやり遂げたなあ!と感心してしまった。

 

それだけ大胆なアレンジを加えつつも、この作品を"恋愛で負った傷は新しい恋愛で癒す"系ラブストーリー*1に改変しないでおいてくれたのは大正解だし、第一に賞賛したいところ。それ、原作付き実写化作品が一番陥りやすいがっかりアレンジで、我々が散々食傷してるやつだから。す〜ぐ恋に敗れ人生に疲れたアラサー女には癒し系ボーイとの恋を処方しときゃええんやろって安易に不要な恋愛要素添加した作品作りしがちな人々ー!!聞いてるかこのやろう!!観客は憤慨しております。

 

確かにユミが受けた裏切りと痛手は重要な要素で起点ではあるけれど、そこが主題の物語ではないし、そうなってはいけない。原作ともかけ離れたものになってしまう。そこはこの作品作りにおいて、脚本を書いたチェ・ヒョンヨン監督も主演俳優であるスヨン田中俊介のふたりもこだわっていたポイントだとインタビュー*2や舞台挨拶でも聞かせてもらえて、とても良かったと思ってる。信頼がおける。

 

 恋愛で負った傷やそこから見えてくる人間の裏側はもちろんこの作品の重要な要素であり魅力ではあるんだけど、主題はそこではなくて、人が何らかのきっかけで心折れ打ち砕かれどん底に転がり落ちたときに、どうやってその傷と向き合い、ばらばらに砕けたかけらを拾い集め、もう一度顔を上げて一歩踏み出そうという気持ちを取り戻せるかというところで、これはラブストーリーではなくて救済と再生の話なんですよね。そして、これは主人公ユミだけでなく、西山くんの話でもある。

 

 

傷口から逃げないこと

 心のどこかでは家に帰りたかった。いつもの生活に戻って、もう全てを忘れてしまいたかった。ずっと待っていた高梨君との新生活にはもう戻れなくても、私のベースがあるあの暖かい暮らしに混じって溶けてしまいたかった。でも、今すぐに家に帰ったら、なんだか微妙なところで決定的に自分がこわれてしまうような気がした。

(原作小説より引用)

 

 

信じていたかった相手の裏切りに直面して深手を負ったあと、家という自分を温かく匿ってくれる巣に今すぐ帰りたい気持ちと、そうしたらきっと思いやりから生傷をまさぐろうとする家族の優しさのせいで、ひとりで自身の傷と向き合えなくなってしまうという気持ちと。

 

自分の内面の傷と向き合うというのは大変な苦痛と恐怖を伴う作業で、まず傷が深ければ深いほど傷ついているという事実を認めること自体が難しくなる。実際の事故現場でも、重傷を負ってもどうにか生きていた人が、自分の傷の容体を知った瞬間死んでしまうこともあるくらいで。それなのに、自分の意思に反してぶしつけに「ほらこんなにひどく傷ついてる!」と指差して知らしめられたり、親切心からでも傷を抉られたりしたらきっと耐えられない。でも傷口から目を逸らしたままでは手の施しようがないから、傷はどんどん膿んでしまう。

 

ユミの傷は一見裏切りを知った時に負ったように見えているけれど、実際は日本に来て真実を突きつけられる前、不穏なものを感じつつも決定的な現実には目を向けないようにしていた頃からずっと血は流れ続けていたんだと思う。思い出に縋って見ないふりをしていた弱さが傷口を深く重くしてしまった。

 

ちょっと脱線気味になるけど、沖縄の古い言葉に「マブイグミ」というものがある。これは、ひとは何かに驚いたり怯えたりといった強いショックを受けるとその拍子に「魂(マブイ)」を落としてしまうから、その現場に戻って落とした魂を拾って元どおり体に収める必要があると考えられている風習のことで、舞城王太郎が短編「熊の場所*3で書いている『恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない』『だって誰でも、自分に恐怖を与えている場所にちゃんと戻らないと、恐怖は一生ついて回るからだ』という考え方と似ている。これはつまり自分の抱える恐怖や傷に打ち勝ちたければ、逃げ回るのはやめて己の目隠しを剥ぎ取り、正面から向き合うしかないという話なんだと思ってる。ここを間違うと恐怖も痛みもこじれて解決が遠のいてしまうから。「デッドエンドの思い出」はそこまでハードボイルドでストイックな話ではないんだけど、居心地のいい場所に逃げ込んだり自分の痛みや感情を他人の手に委ねたりしないで、目を逸らさず向き合おうとするところから再生への道が開けるという話ではあると思う。そしてそれは先送りにせず一刻も早い方がいい。(というのが直接的でなくやわらか〜くやさし〜く語られていると思う)

 

そういう意味では、ユミがテギュの裏切りを知るシーンも致命傷を負った場面ではなくて、気付いていないふりをして押し隠し続けていた自分の傷口とようやく対峙した、再生に向かうための最後の破壊の場面なんじゃないのかな。

 

傷を癒すには他者からの優しさや甘やかしが効く時だってもちろんあるけど、ユミに必要だった処方箋は家族の待つ家に逃げ帰ることではなく名古屋にひとり留まって傷としっかり向き合う時間で、ユミは痛みと迷いの中でもそれを選べる強さと賢さを持ち合わせてたんだなと思う。あまりにもひとりぼっちでは立っていられなかったかも知れないけれど、ユミにはつかず離れずの距離感で見守って導いてくれる天使としての西山くんが現れて、それがこの物語のセレンディピティになってる。(西山くんがその距離感を持ってる理由は、彼自身も過去に大きな傷を受けたことがあるからっていうのは後でわかるんだけど)西山くんがいてくれたから、ひとりでは目を背けかけてた「貸したお金」っていう最後に残った棘もきちんと抜き取ることができた。

 

旅という装置

何者でもない人間になって己と向き合う時間を持つという点において、誰も普段の自分のことも抱えた傷のことも知ることのない異邦人になれる”旅”っていう非日常空間はいい装置なんだなと思った。そして「デッドエンドの思い出」の場合は、日常と非日常世界を繋げる必要最低限の接着剤として、ジンソンがとてもいい役割を果たしてくれてる。ジンソンいい奴。

 

いい装置と言うと、原作では西山くんが雇われ店長をしているバーとその2階だった舞台をゲストハウス兼カフェにすることで、原作ではほぼミミと西山くんのふたりで進んでいたストーリーに交錯してくるキャラクターの層や多面も増していて、これも賞賛に値する映画版アレンジ部分だと思う。それに先にも述べたけどこの映画はユミだけでなく西山くんの物語でもあるので、このアレンジによって、西山くんというキャラクターの陽の部分が強調されて、後から浮き上がってくる陰の部分を引き立てたんじゃないかな。

 

 

人間の陰と陽、強さと弱さ

そう、私がこの作品ですごく好きだなと感じる部分は、表面上は一見ふわっとやさしい癒し系の映画に見えているけれど、それだけじゃなくて、陽と表裏一体の、人間の底の方に澱みたいに淀んだしんどい陰の部分も精緻に描かれているところなんですよね。

 

例えば、私がこの作品の中で一番好きというかうまいなあ〜!と何度見ても感じ入ってしまうシーンが、テギュとアヤの家から立ち去ろうとしたユミをテギュが思わず引き止めて韓国語で弁解しようとしたところをアヤに見咎められて「ごめん、すきなひとができてしまった…」てユミではなくアヤに聞かせるように日本語で言うところなんだけど、このくだりのアヤのしたたかさ*4とテギュの軽薄な弱さと、それを突き放すように「…離して」って*5韓国語で返して断絶を示すユミっていう、この日韓2言語をまたいだ作品ならではのセリフ遣いの上手さと人間の裏表の描き方が際立ってるくだりだと思うんですよね…。この後の一旦引き返しかけてやめるユミの感情のゆらぎまで含めて本当にうまい…。

 

ちょっとおせっかいだけど人情に厚くてやさしい、みたいに描かれているカフェの常連の街の人たちも、私は同時にすごく差し出がましいいやらしい部分も描かれてると思っていて(特に年配の下町の人ならではの)、いつまでもいつまでも自分たちが西山くんを世話してやったと恩着せがましく言ってきたり*6、西山くんを慕って集まってくるように見えてその裏には"この街の生きたニュース"の西山くんを最前線で野次馬しながら手元に置いておきたい気持ちが隠れてたり、部屋から出てこないユミの事を勘ぐるようなことを言ったり…。*7

 

特に象徴的だなあと感じたのが、常連の女性のコジマさんがおにぎり巡りツアーにやってきたチェンちゃんには「おにぎりちゃん」愛想のないバイトには「ニコちゃん」とあだ名をつけていることを誇るシーンで、このあたりは私が悪く捉えすぎかも知れないけど、でも相手の上っ面だけをなぞったようなあだ名で呼ぶのは本当の名前を奪うことつまりその人間の本質を見ないということにもつながると思う。*8それに、私には相手を安易にラベリングすることで自分の理解の範疇に置いてわかったような気になってるように見えて、すごく不遜で不快だった。*9そういう態度から、西山くんのことも未だに「自分たちが世話してやったかわいそうな元・被虐待児」というレッテルでしか見てないように感じられたし、それが西山くんの言う、人の表面的なところしか見ようとせず心の中にどんな宝物が眠ってるのか想像すらしない、という言葉に繋がるんじゃないのかな…。あれは表面しか見てもらえなかったし、もしかしたら自身も見せようとしてこなかった西山くんの心情の吐露だと思う。

 

気さくさと馴れ馴れしさは表裏一体のものだし、それは西山くんが来るもの拒まず去る者追わないのと同時に、裏を返せば相手に執着もせず自分が束縛されることも嫌う、言わば開いているのに閉じた人であることと対照を持たせる為でもあると思うんだけど。そう、西山くんも優しいようでそれだけじゃない。

 

西山くんという幽霊

そして私もまた、他のみんなと同じように、西山君の、わけへだてない陽気な感じと、どうしてかまわりが明るく優しく光っているような雰囲気、人を包み込んで、そしていい感じの晴れた海で海風が吹いてくるような感じにひきつけられた。

なんとなく彼といると自由になったような感じがしたのだった。

 

西山君は、うまくは言えないけれど、もう子どものとき一生で一番大変だったり気分的につらいことをあれこれ経験してしまったから、もうあとは楽しんでいいよ、というふうに神様に愛されて許されているように見えた。

西山君がいるだけで、どうしてか部屋があったかくなり、愛をたくさんもらったような気になる。 

  

いいなあ、この人はもういるだけでいい、別に私のものでなくてもいい、公園に巨大な木々が生えていて、その下でみなが憩うが、それは誰のものでもない。そのように彼の存在をたたえよう、私はそういう気持ちになっていた。

彼は公共のものだ、とはじめからかたく思い込んでいた私にとって彼はおやつとか娯楽とか温泉とか、そういうものに過ぎなかった。

気負いなく出会い、もうすでにそこにいて、ほっとするもの、そういうものだった。

(原作小説より引用)

 

 原作から西山くんに関する描写をいくつか拾ってきたけれど、これあまりにも映画の西山くんそのままでびっくりしませんか。私はしました。演者の田中俊介が原作の西山くんを演じてるんだけど、逆に映画を見たよしもとばななが映画の中の西山くんを文に起こしたんじゃないかと思うくらい。

 

それはとりあえず横に置いとくとして、2つめの引用でも書かれてるように西山くんはミームで言うところの「人生二度目」みたいにどこか達観した浮世離れしたところがあって、誰もが欲しがるけどふわふわと誰にもつかまえられなくて、自分から欲しがろうともしない人として描かれている。でもそれは、彼が子どもの頃に父親から受けていた監禁同様の与えられず求められない状況から「栄養失調の被虐待児」として救出されたのち、今度は真逆の同情まみれで与えられ求められる環境に放り込まれるという経験からきていて、そのあたりで西山くんの感情がどう揺れ動く経緯があったかは描かれていないけれど、結果として西山くんは今のような、優しいけれど求めることも期待することもやめてしまったような人物に着地している。

 

「みんなが思うほどひどい状況だったわけじゃない」と言う西山くんだけど、それでもこの非凡な経験が彼の人格形成に影響しているのは間違いないし、少なからず傷も負ってきていると思う。エンドポイントのことを「ここは道の終わりのどん詰まりだけど、みんなここから始めていくんだ」と噛み締めるようにつぶやいた西山くん自身も、エンドポイントで傷を癒しながら、与えられたものじゃない未来に旅立っていける時を待っていたんじゃないのかな。与えられてきた事を羨まれる西山くんだけど、与えられるものが欲しいものとイコールだとは限らないわけで。

 

「傷ついた分だけ人は優しくなれる」なんて常套句は好きじゃないけど、でも実際ひどい経験を乗り越えた結果たとえ状況は違っても傷ついてる人の痛みに寄り添えるようになるということはあるので、もう普通では経験できないくらいつらい目に遭ってきた西山くんだからこそ、ユミが痛手から立ち直るまでのプロセスをほどほどの距離を保ちながら見守ることができたし、置かれた環境も傷の大きさも人それぞれで比べたり恥じたりする必要はないって言葉にユミに届くだけの説得力が生まれたわけで。*10

 

最後の最後、原作にはない西山くんの旅立ちのシーン*11は、エンドポイントの終わりで映画の終わりだけど、同時に「人生二度目」の西山くんの人生がやっと始まるところでもあると思う。映画では旅立ちが描かれる代わりにどんな方向に向かっていくのかは語られないけれど、*12新たな生を受ける西山くんの人生に幸多かれと願う。

 

 

最後に雑感あれやこれや

ひどく長い上にまとまりもないのに、まだメモに書いてたこと全部は書ききれてないんだよな〜!要約力がなくて嫌になっちまう。書き洩らしたことあれこれ。

 

・好きだったところ
  • 名古屋を舞台にしているけど、地元民からしても移動の距離や方角にほぼほぼ齟齬がない。めちゃくちゃな距離と方角にワープしたりしないので、見ていて気が散らない。(若干はある)
  • 思い出のビーチハウスに向かう車内で、ユミがリップを塗り直すところ。化粧は女のウォーペイントだよな〜。*13
  • 元婚約者が乗り込んできた直後だっていうのに、その相手との思い出の場所に現婚約者をいけしゃあしゃあと連れて行けるテギュの人間の軽薄さと、それで幻滅するユミ。ちゃんと「つまんねー男だったな!」ってどうでもよくなりたいよね。
  • 原作ではゆるふわ〜っとして頼りなくて正直2019年には推せないキャラのミミが、弱々しくなくて賢い現代女性のユミになっているところ。

 

・惜しかったところ
  • ビーチハウスの回想が、回想なのか今なのか、日本なのか韓国なのかちょっと混乱した。
  • テギュの家の椅子にかかっていたのがテギュのスーツだとか、ユミが買ったのがエプロンだとか、アヤが窓を閉めたのは吹き込む風でユミが寒そうに見えたからだとか、画面のちょっとした部分のわかりづらさ、撮り方?画角?でもう少しどうかなったのかなー。
  • 取り返した車の車内が何でいい匂いなのか映画だけだとわからない。わからなくてもさして大きな問題はないんだけど、理由がわかると西山くんの優しさがもっと見える。(原作によれば、車を取り返した後、車内の元婚約者たちの痕跡にユミが傷つかないように西山くんが車を掃除してくれていたから。やさしい!)
  • 「ご飯食べた?」が挨拶代わりになるところや、食事に対するこだわりみたいなのが他の韓国映画を見ていてもちょくちょく気になるポイントなので、パンフレットでそういう文化についてふれてもらえてたらうれしかったかも。*14

 

田中俊介が推しなので

BOYS AND MEN田中俊介くんのオタクなので、最後に西山役:田中俊介の話を書きます。西山くん、見た目も立ち居振る舞いも過去最高に、ギョっとするほど素の田中俊介に近い役柄だと思うんですよね。でもスクリーンの中にいるのはちゃんと西山くんで、田中俊介じゃない。当たり前のことのようでいて、私はこれがすっごく嬉しかったんですよ。

 

出世作である「ダブルミンツ*15のみつおをはじめ、「HiGH&LOW」*16の雷太や「ゼニガタ*17の八雲くん、「恋のクレイジーロード」の宙也…と、わりあいクセも強くて穏やかじゃない役柄を演じることの多かった田中俊介が、今回真逆と言ってもいいような自然体でやわらかな青年を演じていて、これが!見せて欲しかった!と心の中で拍手してしまった。

 

「魑魅は易く、犬馬は難し」という言葉があって、これは「誰も見たことのない化け物を絵に描くのは『これはこういうもの』と言い切ればいいから難しくない、むしろ誰もがよく知っている犬や馬を描くのが難しい」という古事成語なんだけど、今まで魑魅を演じることが多かった田中俊介の犬馬のひきだしを西山くんで見せてもらえた気がしていて、私はそれがすごく嬉しいなと思ってます。(実際、魑魅なら簡単かといえば一概に言えるものではないし、西山くんも内側にまあまあの魑魅を飼っている青年なんだけど…)

 

魑魅と犬馬、どちらが上か下かという話ではなくて、単純にいろんなバリエーションの推しが見れるのうれしいよねー!ということなんですけどね。推し、犬馬もいけるやん!どんどんやってこ!ということです。

 

あと、田中俊介くんのご両親は喫茶店を営まれてるんですが、田中俊介くんは今回の西山くんの役づくりにあたって、何度か実際に実家のお店のキッチンやホールに立ったそうです。「所詮自分の実家だし、『やれる事はやっときたいな』っていう自分の気持ちの問題で、役づくりなんてそんな大した話じゃないけど…」と照れくさそうに話しておられました。*18

 

それ以外にも、普段は現場で人と交流を持つのは苦手なんだけど、この作品では自分から積極的にスタッフとの交流を持ったり出番のない日も差し入れを持って行ったりすることでチーム間に暖かい空気を作り上げて、その空気感をそのまま作品に反映できるようにしようとしたとか、そういういい映画を作り上げるために自分にやれる事は何かを常に考えて、探して、準備と努力を怠らず作品に向き合う姿勢が、私はやっぱり好きだなー推せるなー!と思いました。推しを褒めたがるオタクなので。

 

あと、劇中で使われてるエンドポイントの食器類のいくつかはそのご実家の喫茶店から提供されたものだそうで、「(食器を持ってきてくれた)両親に普段見せたことのない仕事現場を初めて見せられて、すごく喜んでもらえたのも、親孝行になったかな」とポツリとおっしゃってて、オタクはニコニコしましたよ。

*1:別の監督が書いた第一稿ではそういう展開だったとのこと。舞台挨拶での裏話より。

*2:『デッドエンドの思い出』田中俊介さん&チェ・ヒョンヨン監督インタビュー 現場に起こった運命的なこととは? | SWAMP(スワンプ)|人々を惹きつけるカルチャーの奥深き「沼」の魅力を紹介するWEBメディア

*3:

 

熊の場所 (講談社文庫)

熊の場所 (講談社文庫)

 

 


*4:ユミにばかり肩入れしてると完全にヒールになってしまうアヤだけど、自分が奪った形になってしまっている婚約者の元婚約者の突然の訪問から逃げずに最大限誠実に対応していて、尚且つその後婚約者に改めて釘をさすこともできて、彼女は彼女のするべき事をやり切ってるし本当に強いと思う。

*5:自信ないけど「손안놔」かなあ。今ぐぐりました。

*6:西山くんが発見されたのは長野オリンピックの頃って、それ1998年の話ですよ。20年以上も前…

*7:「あたし韓国人が作ってくれた韓国料理食べるのが夢だったの〜」という発言も、ぱっと見友好的に見えてどこか引っかかるものがあって、でもまだ自分の中で整理がついてない。単に私個人ががさつでずけずけとしたおせっかいな人が苦手な人間ってだけなのもあるだろうけど…。

*8:名前を奪う=アイデンティティの剥奪、代わりの名前を与える=その場所での仮のアイデンティティの付与というのは「千と千尋の神隠し」をはじめ色んな物語で使われてるよね。

*9:ユミはエンドポイントに滞在するあいだ誰でもないユミになる必要があったんだけど、それでもユミにあだ名が与えられなくてよかったなあと思っている。

*10:テレビ塔でのこのくだり、現場でも相当密に何度も打ち合わせてから撮られたそうだけど、私にはちょっとわかりにくいやり取りになっていたように思われてそこがこの作品の中で一番残念に思ったところ。言葉って難しいね!このシーンに限らずだけど、韓国語字幕で見る韓国の人たちにはどういう印象になるのかも気になる。

*11:確か一番最初の先行試写のときは店内を振り返って微笑む西山くんのアップがあった気がするんだけど、そこカットして感情を観客に委ねた完成版もいいよねーと思います。

*12:原作では本格的なバーテンダーを目指す修行に行くことになっています。演者の田中俊介くんは「何かしら飲食の仕事を目指すんじゃないかな」と舞台挨拶で話していました。

*13:ユーミンの「どうしてなの 今日に限って ださいサンダルを履いてた」って歌詞思い出す。あれ天才ですよね。

*14:フード理論てきな視点で読み解いてる人の感想とか読みたいな。

*15:

 

ダブルミンツ

ダブルミンツ

 

 

*16:

 

 

THE MOVIE2、3、DTCの達磨ベイビーズ雷太

*17:

 

ゼニガタ [Blu-ray]

ゼニガタ [Blu-ray]

 

 

*18:2019年3月2日テアトル梅田舞台挨拶

推し町おこしおにいさんに推し映画館アンド界隈をおこされたい件

白石晃士監督・脚本、推しことBOYS AND MEN田中俊介くん主演の短編映画「恋のクレイジーロード」*1が、ついに、ついに明日から岐阜・柳ヶ瀬のCINEXにやってきます!やったー!!

チケット情報こちら。増席したのでまだ買えるよ!

 

現在全国津々浦々のミニシアターや映画祭を好評興行中のこの作品、行く先々で舞台挨拶やトークショーを展開しては毎回多くのお客さんを動員しております。某映画館スタッフの方からしゅんくんが「ミニシアターの救世主」と呼ばれていたというのはこの作品のプロデューサーでもあるシネマスコーレ副支配人坪井さんの談ですが、しゅんくんはじめボイメンメンバーの舞台挨拶の集客力は私も何度も実感させてもらってますし、それだけにCINEXへの救世主の来訪、今か今かと待ちわびておったのです…。ついにその日が来た…!う、うれしい。

 

CINEXは基本的にはいわゆる「2番館」*2ってやつで、新作を上映する一番大きいシアター以外は大体名古屋のミッドランドスクエアシネマ2かミリオン座・センチュリーシネマあたりでかかってた作品を引き継いでかけてることが多い劇場なんですが、普段の動員が…なかなかに心許なく…。ま〜今のご時世どこの映画館もそんな景気いいってことはないみたいですが…。でも、一発「恋のクレイジーロード」か「カメラを止めるな!」あたり持ってこれんかな…といちファンはひっそり思っていたのです…。

私はここの劇場のたたずまいも、作品のセレクトも、そして周囲の柳ヶ瀬のアーケード街の雰囲気もとってもとっても大好きなので、多くの人にその良さを知ってもらえそうなこのチャンスがとってもとっても嬉しいんですね!11/23の恋クレ当日は笹島でのボイメンのレギュラー番組「ササシマBASE Lab.」公録&ライブイベントがかぶってるのでなかなかゆっくり柳ヶ瀬散策はしてもらえないかも知んないですけど、とりあえず一回来てもらえれば、周囲のステキさや名古屋からJR東海道線快速で約20分というアクセスの良さに気づいてもらえると思いますし。モレラ岐阜や河川環境楽園みたいな岐阜駅から要乗り換え会場でのイベントついでにも立ち寄ってもらえたらな〜とか…。いいとこなんですほんとに…。

 

そんなこんなで今日はさっくりCINEXへの道案内です。ゆうて基本ひたすらまっすぐレッツラゴーなので説明するほどのこともないけど!

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まずは広域図。名古屋からの移動ならJRがオススメ*3なのでJR出発前提。基本まっすぐって言ってたのに駅出て早々にぐんにゃりしとるやないかと思われるかも知れませんが、これは駅の改札抜けてすぐの出口がロータリーに沿った上空通路になっているからです。

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こんな感じ。

ちなみに私は大体Aルートを使います。こないだ早歩きでAルートを行ったら約10分くらいでCINEXに着いたので、多分普通にのんびり行ったら15分〜20分弱くらいじゃないかな。

地図上で2ルートが合流してる「徹明通」って文字のところに、CINEXがある柳ヶ瀬の「劇場通り」アーケード入口があります。

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ここをくぐれば、もうCINEXはほぼ目の前!岐阜髙島屋入口の正面、スギ薬局の隣、このレンガタイルが入口です。1Fに窓口みたいなのがありますけどこれは気にせずエレベーターで7Fまで上がってね。

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Aルートは、道は細いけどひたすらまっすぐまっすぐ行けばいいだけで絶対迷わないあんしんルート。餃子の有名店「岐州」をはじめ、話題の「岐阜横丁」などいい感じの飲食店・居酒屋と、若者向けのステキセレクトショップと、昔ながらの商店や繊維街ならではの卸売店がひしめきあっていて、大須円頓寺が好きな人にはたまらない風情の小道です。夕方以降の方が活気がある。映画の後に軽く打ち上げていきたい人は絶対このルートがオススメ!お店選びには困らないはず。(多すぎて困るかもしれん)

retty.me

岐阜横丁-日本最大級の屋内型グルメ横丁

 

Bルートは、岐阜駅前のメインストリート。広い道に沿って見上げるような立派なアーケードが備えてあるので雨が降っても大丈夫。夜になっても明るい大通りなので、飲み屋街とかがちゃがちゃしてて怖いわ〜というガールズにはこっちがいいかな。名鉄岐阜駅んとこにLOFTがあって、確かタリーズドトールかその両方かもあったな…。マクドナルドと寿がきやがあるのもこっちの通り。こっちの道を行く時は、ドン・キホーテ柳ヶ瀬店を目印にして左折するとわかりやすいと思います。

Bルートの個人的オススメは、おしゃれでかわいい雑貨と文具が買える小さなお店「アラスカ文具店」と、圧倒される品揃えのマスキングテープ・シールの専門店「hrem」、あと少し通りからはずれちゃうけどとってもいい雰囲気のコーヒースタンド「blitz coffee」です。

alaskabunguten.com

hrem.net

www.instagram.com

 

CINEX近辺だと、すぐ裏手のモスバーガーこえて次の角のお向かいのとこにあるパン屋さん「ロンドン」のパンがおいしいです。名前なんだっけ…なんか…なんかフランスパンのフレンチトーストみたいな…甘いやつがおいしかった…(情報が曖昧だよ)。あとなんか…トマトとチーズの固いパン…固いパンが好き…。

www.moco-london.com

「ロンドン」のはす向かいくらいが、岐阜の名画座「ロイヤル劇場」が入ってる旧・ロイヤルビル、現・ロイヤル40なんですが、ここもかわいいお店あたらしいお店がいろいろ入ってて楽しいのでお時間あったら行ってみて!毎月開催のクリエイター系フリーマーケット「サンデービルヂングマーケット」の中心になってるのもここです。他にも柳ヶ瀬には気になる横道やイカしたお店があちこちにあるよ。私もまだ全然網羅できてないけど。

sakadachibooks.com

kujiragumo.me

ysbmkt.com

 

 

柳ヶ瀬は、名古屋でいったら大須円頓寺みたいに昔ながらの商店と若いクリエイターの活気が混じり合った場所で、しかも全体が迷路みたいに入り組んでて、歩き回るだけでもめちゃくちゃ楽しくて都市観察好きにはたまらない場所なので、ぜひこの機会に好きになって欲しいしまた2度3度と足を運んでもらえたらなー!と、思っている柳ヶ瀬ファンビギナーのわたくしです。柳ヶ瀬にも町おこしおにいさんパワーのおこぼれをくれー!!頼むぜ救世主!!

*1:同時上映「シネマ狂想曲」「MAKING OF CRAZY ROAD」

*2:新作映画を封切館での上映期間終了に次いで、およそ1年以内に上映する劇場のこと。

*3:快速で約20分470円。名鉄だと特急で約30分550円

フーレ!フーレ!!俺の推ッし!!の件

フーレ!フーレ!おまえーーー!!!(どんとこいやー!)

 

更新さぼり続けてる間に時ははや11/17そしてナゴヤドームまで残すところ58日ですって。やべーやべータイムフライズきわまる*1。2ヶ月切りましたけど?こわ!!

 

ドームももちろん気になるっていうかそこが大本命の総本山なんですけど、目下のところ週明け早々に迫ってまいりました「スポーツ&ライブ2018」。毎年恒例のフォーチュンエンタテイメント所属男子グループたちBOYS AND MEN、BOYS AND MEN研究生そして祭nine.総参加の大運動会。みなさん用意できてます?私?なんもやってません。

 

なんもやってない人間が言うのもあれなんですけど、今年の夏の終わりの水泳大会*2に推しの応援ボード持ってったら楽しかったので、今日は工作のお誘いです。あと3日しかないやんって?私も前日夜に急に思い立って作ったけど何とかなったから大丈夫!!いけるいける!!

 

ちなみに作ったボードはコレ。ボード処女作にしてはなかなかよいものが出来たのではと自負しております。

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まずはざっくりと資材と道具のご紹介。

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ダイソーで買ったもの

・カラーボード

   すごくでかい。これ絵の中のサイズ表記間違ってますね…どんくらいだっけ全判くらいかなあ?半切り?切り文字の立体を作るのに使います。持ち帰りに苦労するので注意。

・貼れるボード

   これが本体の土台。こっちはサイズはA3くらいかな?表面の剥離紙を剥ぐと全面が粘着面なので紙がキレイに貼れます。便利。

・ホログラムおりがみ

   「おりがみ」ってうたいだけど開けてみたらヒラヒラのフィルムでした。しかも、推しのテーマカラーシルバーが足りるように3袋くらい買ったんですけど、全色裏面がシルバーだったというありがたいような悲しいような誤算。

・スチロールカッター

   ものすごく簡易的なつくりだけど全然ちゃんと使えます。確かこれ100円じゃなくて300円くらいだったかなあ?見た目ほぼ完全に同じやつがハンズで600円くらいでした。ニクロム線が短めだし小型なので奥行きもあまりないけどボードの切り文字作るくらいなら問題なし。スチロール切る時は換気しましょうね。

・単二電池

   スチロールカッターに使うやつ。買い忘れ注意。

 

○家にあったもの

・カラーペーパー

  コストコで来世の分まで入ってるような大容量セットを買った時のやつ。A4より微妙に大きい多分レターサイズ。

・多用途接着剤

   セメダインの金属や樹脂もいける強いやつ。切り文字を土台に貼るのに使う。多分本当はスチのり*3を使うのかなあ。ここはそこそこ信用のおけるしっかりした接着剤を用意した方がいいと思います。

・割りピン

   カチンコの可動部接続に使った。咄嗟に家にあってよかった〜。ラッピングに使うのもかわいいよね。とても好きな事務用品です。

・スプレーのり

   強粘着のやつ。スプレーのりは家の中でうかつに使うとあらゆる所がべとついてやべー事になるので、一瞬外に出て吹くか、ダンボールで簡易スプレーブース作ってから吹きましょう。換気も大事。

・カッター

   ごく普通のNTカッター。

・ポスカ(白)

   ごく普通のポスカ。

あと他に細かいところの接着修正にスティックのりも。

 

それではざっくりとした作り方の話。

 

・デザインを考える

推しが映画好きなので、映画のフィルムのコマ🎞かカチンコ🎬にしようとボンヤリ考えながら買い物に。資材を見ながら、フィルムだと遠くから見て分かりづらい気がするし、カチンコの方が黒バックで字も映えてなによりかわいいよな〜…という事でカチンコに決定。形も真四角なので材料のボードの下カドを丸く落とすくらいでそのまま使えるな〜というのも決め手。

最初は絵文字みたいに可動部が開いた形🎬にV字のパーツを作って貼る予定でしたが、細いとこが折れそうだし、割りピン使えば実際動くようにできるじゃん!動いた方がおもろいやん!と思い立って可動式に決定。

 

・切り文字を作る

PhotoshopIllustratorで土台のボードと同じサイズのファイルを作って、文字のフォントとレイアウトを決めます。Photoshop ないよ〜という場合でももちろん別のソフトでもいいし、同じサイズの紙に手で書いたって大丈夫。あとはコンビニコピーとかを駆使すればどうとでもなります。いけるいける!要はボードに合わせたサイズの文字が作れればいいので。

そして、その文字を左右反転して出力します。もしくは左右反転コピー。理由は画像参照↓

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おわかりいただけただろうか…。

そのままプリントできる蛍光カラーペーパーなんかだったら、出力した紙の裏に貼り付ける手間は飛ばしてそのまま切ってしまえばいいんですけど、私の場合はおりがみサイズのホログラムフィルムを使いたかったのでこんな手順になりました。*4カラーペーパーなどそのまま切れる用紙を使う場合でも、表面でなくて裏に鏡文字で出力した方が、切った後ガイド線が残らなくてキレイに仕上がると思います。

 

切り抜いたら、立体にしたい文字パーツをカラーボードに貼り付けて、スチロールカッターでパーツ周りを大まかに切り抜いてから、文字に沿って不要な部分を切り落としていきます。ボードをスチロールカッターで切る時は、カッター側を動かすというよりカッターは固定でボードをくるくる回す気持ちでやるとやりやすいですよ。あと換気をお忘れなく。

私は大丈夫でしたけど、切り文字の紙が焦げたりしそう…という場合は、切り文字本体か切り抜いたとき残った紙を使ってボードに印をつけてボードだけを切り抜いてから紙を貼ってももちろん問題ないです。やりやすいようにやってください。

あと、これも私は運良くやらないで済んだんですけど、例えば「まさる」の「ま」「る」みたいに丸の中をくり抜きたい場合は、そこだけ頑張ってカッターで切るか、紙を一部貼らないでおいてくり抜き部分を切ってから貼るといいのでは?と思います。(図参照)文字部分の紙と土台のボードでサンドイッチされる事になるので、文字の一部が切れてても割れてくることはないんじゃないかな。

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土台のボードを作る

普通に真っ黒のうちわやカラーボードに貼るなら、ここはすっ飛ばしてください!

私はカチンコを作りたかったので、家にあるカチンコ*5を参考に、貼れるボードに紙を貼ったり文字を書いたりして土台を作成しました。行き当たりばったりでも何とかなるもんだなあ。

あと、これはオススメの工夫なんですけど、ペンライト持たなきゃならんので両手をフリーにしたくて、首から提げられるように紐をつけました。(テープでベッと貼っただけ)

 

切り文字を貼って仕上げる

いよいよ盛り上がり最高潮の仕上げですが、ここは一旦冷静になって。土台の上に切り文字や、ハートやフサフサのモールなどその他の飾りもあればそういうのも全部一度並べ直して、レイアウトをしっかり最終確認してから接着剤で貼り付けていきます。

これにてめでたく完成〜!お疲れ様でした!!完成品を眺めながら勝利のおやつなど食べましょう。

 

どうでしたー?伝わりましたかね。ツタワラナイトラベルかな。まー切り文字自作せんでもダイソーにもあとタワレコにもすでに仕上がったパーツもありますし、推しの名前をA3くらいに出力した紙をボードに貼るだけでもかなりアガるので、是非チャレンジしてみて欲し〜って思います。「どうせなら手ぶらよりもペンライト持った方がライブのテンション上がる」みたいなもんなので、ちょちょっと工作してせっかくのスポライ盛り上がってまいりましょう!(もちろんドームもね!)

*1:Time flies。光陰矢の如し。

*2:2018年9月16日開催「ドキッ!下克上 男だらけの水泳大会」

*3:スチロール接着用ののり。使ったことがない…

 

光栄堂 スチのり100

光栄堂 スチのり100

 

 


*4:フィルムなのでヒラヒラペラペラしててわりと扱いにくかったホログラムが紙に貼ることにより扱いやすくなって結果オーライ。

*5:フライングタイガーで購入。

推しの投げた球受け止めたいの件/君はファンサを見たか

自己承認の低い人間は往々にして謙遜が身に染み付いているものですが、しかし謙遜も過ぎれば卑屈となり、卑屈になってしまえばもはやそれは美徳でも何でもない、ただのはた迷惑な自意識過剰となるわけです。

自己の承認が低い結果、自意識は過剰になるとはこれいかに。上がってんの下がってんのって話ですけど、何でそんな事言い出したかと言えば、今日はファンサすなわちファンサービスの話をしたいから。

 

ファンサービス、それはつまり指差しだとか微笑みかけるだとか、主にライブ中に投げかけられる推しからオタクへの「お前の事見てんぜ」「ありがとな」的行為ですけど、私はこれあんまり実感したことなかったんですよね。わたくしの推しこと田中俊介くん以下しゅんくんは結構ファンサする方の人みたいなんですが、たまーにふと目が合った時に猫が微笑む*1みたいに目を細めて「おっ、おるな」っていう出席確認みたいな顔をされることがあるくらいで、そこまでがっつり指差しだの何だのってことはほぼ受けたことがなかった。

いや正確に言うと、ない、と思ってた。そんなはずないと思い込もうとしてた。

 

突然ですけど、私はまあまあ背が高い方で、女子ばかりのスタンディングだと後ろから聞こえよがしに恨み言を言われることもままありまして。*2そんなこともあって、まあ見えれば大丈夫です…って基本中盤より後ろあたりにひっそり、みたいな場所取りばっかりしていた。整番運もよくなかったし。そんで、背が高い分、これ以上はみ出すまいぞーってペンライトも絶対顔の前より上には上げないような、つつましやかなオタク活動をしてたんですよ。

 

それが最近、何の因果か立て続けに整番の神に微笑まれてしまって、連続で最前を頂いてしまった。

結論から言ってしまえば、まあありますね!ファンサって!!実在した!!取材班がアマゾンまで飛ばなくてもその実在が証明された!!都市伝説じゃなかった!!さすがに最前で推しまで2m前後、間に何も遮るものがない状態で「この目線は勘違いです」とは言えなかった。ちなみにしゅんくんも相当目がいいらしいですけど私も視力1.5以上あります。これは言い訳できない。あの状況では、あのキメ顔も笑顔も全部私宛だったと断言せざるを得ない。

何だよお前の自慢話かよ、と思われそうですけど、まあもうちょっと話を聞いてくれ。

 

私には、かれこれ11年ちょっと追っかけてるアメリカのアーティストがいまして。彼がバンドをやっていた頃は、来日するたび全会場追っかけて、国外にも何度か遠征して、国内だったら基本的に最前どセンみたいなまあまあダイハードなビッグファンだったんですよ。*3自分で言うのもあれですけど、今振り返ってみても、日本人で私より熱意を持って推して通いつめてた人間いなかったと思う。*4

そんだけ通ってると、当たり前だけどこっちから見えてるってことは向こうからも姿が見えてるので認知されるんですよね。そんで、小さいライブハウス規模で招聘されるような海外バンドって、接触できるどころではなく普通〜にそのへんウロウロしてるしむしろ向こうからばんばん話しかけてくるし、あとはファンの側の語学力と気合次第でどうとでも交流し放題なので、だんだん親交も交わすようになってくるわけです。

私の推しは結構中二病というか気取ったところのある男なので、他のバンドみたいに特定のファンに露骨に感謝を示したり特別扱いしたり*5っていうことはしなかったけど、事前に私の好きな曲を聞き出しておいてセットリストに組み込んだりいつも同じ曲の同じポイントで手を握ってきたり他にも色々、いま振り返ってみてもし私が他人だったら「それは完全にファンサだしなんならオキニだよ!!」って言ってただろうなってくらい、こっちの好意に対して最大限の感謝と好意を返してくれてたと思う。

でも、それなのに、私はずーーーーーっと、「いやいやいや絶対好意とかじゃないから!ただの偶然と気まぐれだから!!」って言い続けてた。あんなに心を尽くしてくれてたのに、「自分みたいなつまらんもんが、憧れの相手からそんな大層なもの受けるに値するわけがない!」っていうしょうもない卑屈さのせいで。彼がせっかく向けてくれてたありがとうや喜んでほしいって気持ちを、まっすぐ受け取らずにひねくれて全部はねつけてしまってた。これは一生後悔し続けるし、取り返しがつかないひどい行いだったなあと思います。

 

友達でも、たまにいるじゃないですか。こっちがどれだけ励ましても褒めても「いやいやいやそんな事ない」「自分はダメだ」「買いかぶってる」みたいに、自己否定が過ぎててこっちの肯定的な気持ちいっこも受け取ってくれない子。あれめちゃくちゃめげるしへこむし疲れるし、「私の言葉はそんなに信じられんのか」「私の好意はそんなに嬉しくないものなのか」ってすごい悲しくなる。徒労感はんぱない。

それって、きっとボイメンくんたちの側でも同じだと思うんですよねえ。だって同じ人間だもの。

 

水野勝なんかはライブ後の特典会で「お前せっかく俺が指差したのに何無視してんだ!!勘違いじゃねえよお前だよお前!!」って怒ってくださったりするそうですけど(本当に恐ろしいなあの人は)(好きだ…)、せっかくファンサしても空振りばっかじゃやんなっちゃうだろうなーって思うんですよね。ただでさえ普段からワーキャー言ってもらえないってよく言ってるし。*6最近のラジオでも「みんなを楽しませたい一心でやったことが伝わってないとションボリする」ていう旨の事言ってましたけど*7、そりゃそうだよねえ。そりゃへこむよー。

 

なので、ファンサも、ちょっと調子こきなくらいの勢いで受け取っちゃった方がお互いのためだと思うんですよね!思うんですよねってお前できとらんやんって話ですけど。いや私も今後は気のせいレベル勘違いレベルのもガンガン己へのファンサとしてカウントしていく姿勢でいこうと思います。今更だけど、後ろの方で見てた頃に目が合った気がしてたやつも、遅ればせながらあれは目が合ってたとジャッジさせてもらう。どちらさまに向けてなのかわからん遠慮も謙遜も、ましてや卑下も自分がすり減るだけで誰も得しないしな!よしんば嫉妬されても「いいな〜!」には「いいでしょ〜?」って言っとけばいいと思うんすよ。どんどこ勝手に受信して「隅々までファンサのできる推し天才〜!!」って褒めまくっていきたい。*8勘違いだろうがなんだろうが、喜ばれてりゃ向こうにとってもまあ悪い事ではないだろうし、こちらとしても推しによって幸せがもたらされてんなら、それで大正解の結果オーライだぜ!と思うんですよね。

 

まー目線も指差しもなかろうが、突き詰めていけばもう推しが今ここに生きて存在してるだけで最高のファンサなので、いまこの瞬間にも我々はファンサを受け続けていると言っても過言ではないんですけどね。過言なんですけどね。でも推しがイケメン版蠱毒の壺みたいな苦境を生き延びて、今もずっとボイメンでい続けてくれるっていうのに勝るファンサはないな…というのはかなりマジで思っていることであります。先に述べたバンドの件もあるし…。推させてもらえてるって奇跡なんだよなあ。

 

ぐだぐだになってきたところで、先にも触れた最近受けたファンサの記録を貼って今回の話は終わりたいと思います。ファンサっていうかこれは…いっこめのはファンサだと思うけど(そして勝手にめちゃくちゃ食らっている)ふたつめのは…なんだ??多分ファンサ、ファンサですきっと。楽しませようとしてくれた気持ち、しかと受け取ったぞ。若干オーバーキルだったけど。

*1:猫飼ってる人にしかわかりにくい表現。猫は機嫌がいいと飼い主に向かってゆっくり両目を細める両目ウインクをします。

*2:ガツガツ行く系のライブハウスだったらおうおう羨ましいかよ知った事かってむしろぐいぐい前に行くんですけど、ボイメン現場はそういうノリでもないし。

*3:過去形で書くのが心が痛い。まだ音楽活動はしてるんですけどね。ライブしてくれ。

*4:これはとても悲しいこと。もっとたくさんの人たちから愛されるべきバンドだったから。もう解散してしまったバンドだけど、もっと多くの人たちに見つけてもらえていれば違う運命があったのにと今でも思う。

*5:MCで特定のファンに感謝の言葉を述べたりステージに上げたりっていうのはそんなに珍しくない。

*6:ボイメンオタクのイベント会場なんかでメンバーがそのへん歩いてても基本的に無視する姿勢めちゃくちゃびっくりしたし未だに何故…って思う…大騒ぎしすぎるのもそりゃよくないけどちょっとかわいそう…。

*7:炎・天下奪取PVについてリスナーから「ボイメンにあんなことさせないで」的なおたよりが届いて、えっそんな…と動揺していた面々。

*8:それに、常に「今日も◯◯くんと見つめ合っちゃった♡」みたいな人最強だなって卑屈や嫌味でなくマジで思うし…現場を最大限楽しんでるじゃん…。その意気やよし。