【映画感想】デッドエンドの思い出

推しことBOYS AND MEN田中俊介くんがスヨンさん(少女時代)とW主演している日韓共作映画「デッドエンドの思い出」(原作:よしもとばなな)を見てきたので、その感想をつらつらと述べます。

 

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見てきたっていうか、しょうみな話、まずとりあえずの編集が仕上がったばっかりの2018年9月のあいち国際女性映画祭での特別先行試写から、同年12月の完成ほやほや披露上映、2019年明けてから新たな上映館が加わるたびに行われている舞台挨拶付き上映…と、なんだかんだでもうかれこれ10回くらい見てしまってるんだけど。そして、これを書いている3月14日で上映が終わる劇場も多いのに今更遅いわって話なんだけど…。これから上映始まるところもあるし、そもそもこれは個人の覚え書きなのでご勘弁願いたい。

 


映画『デッドエンドの思い出』予告編

 

・「デッドエンドの思い出」あらすじ

30歳を目前にして、ごく普通の日々を送っていた韓国人女性・ユミ(スヨン)。ひとつだけ気にかかっている事があるとすれば、仕事で名古屋へ行ってしまった婚約者テギュとの未来だった。そんなユミはふと思い立ち、テギュに会いに名古屋へと向かう。久々の再会を待ちわびていたユミが、テギュのアパートで見たのは、見知らぬ女性の姿だった。突然知らされたテギュの裏切りに絶望し、あてもなく街をさまようユミ。そんな彼女がたどり着いたのは、エンドポイントという名のゲストハウスを兼ねた古民家カフェだった。エンドポイントのオーナー・西山(田中俊介)は不思議な存在感でユミに寄り添い、カフェに集うちょっぴりおせっかいな常連客たちも傷ついたユミの心をゆっくりと癒していく。そして西山の心の傷に触れた時、ユミの中で確実に何かが変わり始めた……。

(以上 映画公式サイトより引用)

 

 

※以下、この文は映画・原作双方のネタバレを含んでいます。

 

 

恋愛主義改変断固ノー

まず、すごく重要だと思ったのは、この映画は恋愛映画ではないということ、その軸足にブレがないということ。

 

この映画は、平成15年に日本人女性ミミを主人公にして書かれた短編小説をまず韓国人女性のユミが日本を訪れるというかたちに改変していて、主人公のポジション以外にも、西山くんのお店もバーからゲストハウス兼カフェになっていたり、街の人々や名古屋の街が多く組み込まれたり…と、日韓ふたつの国をまたぎつつ2019年の現代の感覚にも沿うようかなり大胆なアレンジが加えられている。でも、それでいて原作の主軸を損なわないよう丁寧に気を配って再構築されていて、映画鑑賞後に原作を読んだときにはよくぞここまでやり遂げたなあ!と感心してしまった。

 

それだけ大胆なアレンジを加えつつも、この作品を"恋愛で負った傷は新しい恋愛で癒す"系ラブストーリー*1に改変しないでおいてくれたのは大正解だし、第一に賞賛したいところ。それ、原作付き実写化作品が一番陥りやすいがっかりアレンジで、我々が散々食傷してるやつだから。す〜ぐ恋に敗れ人生に疲れたアラサー女には癒し系ボーイとの恋を処方しときゃええんやろって安易に不要な恋愛要素添加した作品作りしがちな人々ー!!聞いてるかこのやろう!!観客は憤慨しております。

 

確かにユミが受けた裏切りと痛手は重要な要素で起点ではあるけれど、そこが主題の物語ではないし、そうなってはいけない。原作ともかけ離れたものになってしまう。そこはこの作品作りにおいて、脚本を書いたチェ・ヒョンヨン監督も主演俳優であるスヨン田中俊介のふたりもこだわっていたポイントだとインタビュー*2や舞台挨拶でも聞かせてもらえて、とても良かったと思ってる。信頼がおける。

 

 恋愛で負った傷やそこから見えてくる人間の裏側はもちろんこの作品の重要な要素であり魅力ではあるんだけど、主題はそこではなくて、人が何らかのきっかけで心折れ打ち砕かれどん底に転がり落ちたときに、どうやってその傷と向き合い、ばらばらに砕けたかけらを拾い集め、もう一度顔を上げて一歩踏み出そうという気持ちを取り戻せるかというところで、これはラブストーリーではなくて救済と再生の話なんですよね。そして、これは主人公ユミだけでなく、西山くんの話でもある。

 

 

傷口から逃げないこと

 心のどこかでは家に帰りたかった。いつもの生活に戻って、もう全てを忘れてしまいたかった。ずっと待っていた高梨君との新生活にはもう戻れなくても、私のベースがあるあの暖かい暮らしに混じって溶けてしまいたかった。でも、今すぐに家に帰ったら、なんだか微妙なところで決定的に自分がこわれてしまうような気がした。

(原作小説より引用)

 

 

信じていたかった相手の裏切りに直面して深手を負ったあと、家という自分を温かく匿ってくれる巣に今すぐ帰りたい気持ちと、そうしたらきっと思いやりから生傷をまさぐろうとする家族の優しさのせいで、ひとりで自身の傷と向き合えなくなってしまうという気持ちと。

 

自分の内面の傷と向き合うというのは大変な苦痛と恐怖を伴う作業で、まず傷が深ければ深いほど傷ついているという事実を認めること自体が難しくなる。実際の事故現場でも、重傷を負ってもどうにか生きていた人が、自分の傷の容体を知った瞬間死んでしまうこともあるくらいで。それなのに、自分の意思に反してぶしつけに「ほらこんなにひどく傷ついてる!」と指差して知らしめられたり、親切心からでも傷を抉られたりしたらきっと耐えられない。でも傷口から目を逸らしたままでは手の施しようがないから、傷はどんどん膿んでしまう。

 

ユミの傷は一見裏切りを知った時に負ったように見えているけれど、実際は日本に来て真実を突きつけられる前、不穏なものを感じつつも決定的な現実には目を向けないようにしていた頃からずっと血は流れ続けていたんだと思う。思い出に縋って見ないふりをしていた弱さが傷口を深く重くしてしまった。

 

ちょっと脱線気味になるけど、沖縄の古い言葉に「マブイグミ」というものがある。これは、ひとは何かに驚いたり怯えたりといった強いショックを受けるとその拍子に「魂(マブイ)」を落としてしまうから、その現場に戻って落とした魂を拾って元どおり体に収める必要があると考えられている風習のことで、舞城王太郎が短編「熊の場所*3で書いている『恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない』『だって誰でも、自分に恐怖を与えている場所にちゃんと戻らないと、恐怖は一生ついて回るからだ』という考え方と似ている。これはつまり自分の抱える恐怖や傷に打ち勝ちたければ、逃げ回るのはやめて己の目隠しを剥ぎ取り、正面から向き合うしかないという話なんだと思ってる。ここを間違うと恐怖も痛みもこじれて解決が遠のいてしまうから。「デッドエンドの思い出」はそこまでハードボイルドでストイックな話ではないんだけど、居心地のいい場所に逃げ込んだり自分の痛みや感情を他人の手に委ねたりしないで、目を逸らさず向き合おうとするところから再生への道が開けるという話ではあると思う。そしてそれは先送りにせず一刻も早い方がいい。(というのが直接的でなくやわらか〜くやさし〜く語られていると思う)

 

そういう意味では、ユミがテギュの裏切りを知るシーンも致命傷を負った場面ではなくて、気付いていないふりをして押し隠し続けていた自分の傷口とようやく対峙した、再生に向かうための最後の破壊の場面なんじゃないのかな。

 

傷を癒すには他者からの優しさや甘やかしが効く時だってもちろんあるけど、ユミに必要だった処方箋は家族の待つ家に逃げ帰ることではなく名古屋にひとり留まって傷としっかり向き合う時間で、ユミは痛みと迷いの中でもそれを選べる強さと賢さを持ち合わせてたんだなと思う。あまりにもひとりぼっちでは立っていられなかったかも知れないけれど、ユミにはつかず離れずの距離感で見守って導いてくれる天使としての西山くんが現れて、それがこの物語のセレンディピティになってる。(西山くんがその距離感を持ってる理由は、彼自身も過去に大きな傷を受けたことがあるからっていうのは後でわかるんだけど)西山くんがいてくれたから、ひとりでは目を背けかけてた「貸したお金」っていう最後に残った棘もきちんと抜き取ることができた。

 

旅という装置

何者でもない人間になって己と向き合う時間を持つという点において、誰も普段の自分のことも抱えた傷のことも知ることのない異邦人になれる”旅”っていう非日常空間はいい装置なんだなと思った。そして「デッドエンドの思い出」の場合は、日常と非日常世界を繋げる必要最低限の接着剤として、ジンソンがとてもいい役割を果たしてくれてる。ジンソンいい奴。

 

いい装置と言うと、原作では西山くんが雇われ店長をしているバーとその2階だった舞台をゲストハウス兼カフェにすることで、原作ではほぼミミと西山くんのふたりで進んでいたストーリーに交錯してくるキャラクターの層や多面も増していて、これも賞賛に値する映画版アレンジ部分だと思う。それに先にも述べたけどこの映画はユミだけでなく西山くんの物語でもあるので、このアレンジによって、西山くんというキャラクターの陽の部分が強調されて、後から浮き上がってくる陰の部分を引き立てたんじゃないかな。

 

 

人間の陰と陽、強さと弱さ

そう、私がこの作品ですごく好きだなと感じる部分は、表面上は一見ふわっとやさしい癒し系の映画に見えているけれど、それだけじゃなくて、陽と表裏一体の、人間の底の方に澱みたいに淀んだしんどい陰の部分も精緻に描かれているところなんですよね。

 

例えば、私がこの作品の中で一番好きというかうまいなあ〜!と何度見ても感じ入ってしまうシーンが、テギュとアヤの家から立ち去ろうとしたユミをテギュが思わず引き止めて韓国語で弁解しようとしたところをアヤに見咎められて「ごめん、すきなひとができてしまった…」てユミではなくアヤに聞かせるように日本語で言うところなんだけど、このくだりのアヤのしたたかさ*4とテギュの軽薄な弱さと、それを突き放すように「…離して」って*5韓国語で返して断絶を示すユミっていう、この日韓2言語をまたいだ作品ならではのセリフ遣いの上手さと人間の裏表の描き方が際立ってるくだりだと思うんですよね…。この後の一旦引き返しかけてやめるユミの感情のゆらぎまで含めて本当にうまい…。

 

ちょっとおせっかいだけど人情に厚くてやさしい、みたいに描かれているカフェの常連の街の人たちも、私は同時にすごく差し出がましいいやらしい部分も描かれてると思っていて(特に年配の下町の人ならではの)、いつまでもいつまでも自分たちが西山くんを世話してやったと恩着せがましく言ってきたり*6、西山くんを慕って集まってくるように見えてその裏には"この街の生きたニュース"の西山くんを最前線で野次馬しながら手元に置いておきたい気持ちが隠れてたり、部屋から出てこないユミの事を勘ぐるようなことを言ったり…。*7

 

特に象徴的だなあと感じたのが、常連の女性のコジマさんがおにぎり巡りツアーにやってきたチェンちゃんには「おにぎりちゃん」愛想のないバイトには「ニコちゃん」とあだ名をつけていることを誇るシーンで、このあたりは私が悪く捉えすぎかも知れないけど、でも相手の上っ面だけをなぞったようなあだ名で呼ぶのは本当の名前を奪うことつまりその人間の本質を見ないということにもつながると思う。*8それに、私には相手を安易にラベリングすることで自分の理解の範疇に置いてわかったような気になってるように見えて、すごく不遜で不快だった。*9そういう態度から、西山くんのことも未だに「自分たちが世話してやったかわいそうな元・被虐待児」というレッテルでしか見てないように感じられたし、それが西山くんの言う、人の表面的なところしか見ようとせず心の中にどんな宝物が眠ってるのか想像すらしない、という言葉に繋がるんじゃないのかな…。あれは表面しか見てもらえなかったし、もしかしたら自身も見せようとしてこなかった西山くんの心情の吐露だと思う。

 

気さくさと馴れ馴れしさは表裏一体のものだし、それは西山くんが来るもの拒まず去る者追わないのと同時に、裏を返せば相手に執着もせず自分が束縛されることも嫌う、言わば開いているのに閉じた人であることと対照を持たせる為でもあると思うんだけど。そう、西山くんも優しいようでそれだけじゃない。

 

西山くんという幽霊

そして私もまた、他のみんなと同じように、西山君の、わけへだてない陽気な感じと、どうしてかまわりが明るく優しく光っているような雰囲気、人を包み込んで、そしていい感じの晴れた海で海風が吹いてくるような感じにひきつけられた。

なんとなく彼といると自由になったような感じがしたのだった。

 

西山君は、うまくは言えないけれど、もう子どものとき一生で一番大変だったり気分的につらいことをあれこれ経験してしまったから、もうあとは楽しんでいいよ、というふうに神様に愛されて許されているように見えた。

西山君がいるだけで、どうしてか部屋があったかくなり、愛をたくさんもらったような気になる。 

  

いいなあ、この人はもういるだけでいい、別に私のものでなくてもいい、公園に巨大な木々が生えていて、その下でみなが憩うが、それは誰のものでもない。そのように彼の存在をたたえよう、私はそういう気持ちになっていた。

彼は公共のものだ、とはじめからかたく思い込んでいた私にとって彼はおやつとか娯楽とか温泉とか、そういうものに過ぎなかった。

気負いなく出会い、もうすでにそこにいて、ほっとするもの、そういうものだった。

(原作小説より引用)

 

 原作から西山くんに関する描写をいくつか拾ってきたけれど、これあまりにも映画の西山くんそのままでびっくりしませんか。私はしました。演者の田中俊介が原作の西山くんを演じてるんだけど、逆に映画を見たよしもとばななが映画の中の西山くんを文に起こしたんじゃないかと思うくらい。

 

それはとりあえず横に置いとくとして、2つめの引用でも書かれてるように西山くんはミームで言うところの「人生二度目」みたいにどこか達観した浮世離れしたところがあって、誰もが欲しがるけどふわふわと誰にもつかまえられなくて、自分から欲しがろうともしない人として描かれている。でもそれは、彼が子どもの頃に父親から受けていた監禁同様の与えられず求められない状況から「栄養失調の被虐待児」として救出されたのち、今度は真逆の同情まみれで与えられ求められる環境に放り込まれるという経験からきていて、そのあたりで西山くんの感情がどう揺れ動く経緯があったかは描かれていないけれど、結果として西山くんは今のような、優しいけれど求めることも期待することもやめてしまったような人物に着地している。

 

「みんなが思うほどひどい状況だったわけじゃない」と言う西山くんだけど、それでもこの非凡な経験が彼の人格形成に影響しているのは間違いないし、少なからず傷も負ってきていると思う。エンドポイントのことを「ここは道の終わりのどん詰まりだけど、みんなここから始めていくんだ」と噛み締めるようにつぶやいた西山くん自身も、エンドポイントで傷を癒しながら、与えられたものじゃない未来に旅立っていける時を待っていたんじゃないのかな。与えられてきた事を羨まれる西山くんだけど、与えられるものが欲しいものとイコールだとは限らないわけで。

 

「傷ついた分だけ人は優しくなれる」なんて常套句は好きじゃないけど、でも実際ひどい経験を乗り越えた結果たとえ状況は違っても傷ついてる人の痛みに寄り添えるようになるということはあるので、もう普通では経験できないくらいつらい目に遭ってきた西山くんだからこそ、ユミが痛手から立ち直るまでのプロセスをほどほどの距離を保ちながら見守ることができたし、置かれた環境も傷の大きさも人それぞれで比べたり恥じたりする必要はないって言葉にユミに届くだけの説得力が生まれたわけで。*10

 

最後の最後、原作にはない西山くんの旅立ちのシーン*11は、エンドポイントの終わりで映画の終わりだけど、同時に「人生二度目」の西山くんの人生がやっと始まるところでもあると思う。映画では旅立ちが描かれる代わりにどんな方向に向かっていくのかは語られないけれど、*12新たな生を受ける西山くんの人生に幸多かれと願う。

 

 

最後に雑感あれやこれや

ひどく長い上にまとまりもないのに、まだメモに書いてたこと全部は書ききれてないんだよな〜!要約力がなくて嫌になっちまう。書き洩らしたことあれこれ。

 

・好きだったところ
  • 名古屋を舞台にしているけど、地元民からしても移動の距離や方角にほぼほぼ齟齬がない。めちゃくちゃな距離と方角にワープしたりしないので、見ていて気が散らない。(若干はある)
  • 思い出のビーチハウスに向かう車内で、ユミがリップを塗り直すところ。化粧は女のウォーペイントだよな〜。*13
  • 元婚約者が乗り込んできた直後だっていうのに、その相手との思い出の場所に現婚約者をいけしゃあしゃあと連れて行けるテギュの人間の軽薄さと、それで幻滅するユミ。ちゃんと「つまんねー男だったな!」ってどうでもよくなりたいよね。
  • 原作ではゆるふわ〜っとして頼りなくて正直2019年には推せないキャラのミミが、弱々しくなくて賢い現代女性のユミになっているところ。

 

・惜しかったところ
  • ビーチハウスの回想が、回想なのか今なのか、日本なのか韓国なのかちょっと混乱した。
  • テギュの家の椅子にかかっていたのがテギュのスーツだとか、ユミが買ったのがエプロンだとか、アヤが窓を閉めたのは吹き込む風でユミが寒そうに見えたからだとか、画面のちょっとした部分のわかりづらさ、撮り方?画角?でもう少しどうかなったのかなー。
  • 取り返した車の車内が何でいい匂いなのか映画だけだとわからない。わからなくてもさして大きな問題はないんだけど、理由がわかると西山くんの優しさがもっと見える。(原作によれば、車を取り返した後、車内の元婚約者たちの痕跡にユミが傷つかないように西山くんが車を掃除してくれていたから。やさしい!)
  • 「ご飯食べた?」が挨拶代わりになるところや、食事に対するこだわりみたいなのが他の韓国映画を見ていてもちょくちょく気になるポイントなので、パンフレットでそういう文化についてふれてもらえてたらうれしかったかも。*14

 

田中俊介が推しなので

BOYS AND MEN田中俊介くんのオタクなので、最後に西山役:田中俊介の話を書きます。西山くん、見た目も立ち居振る舞いも過去最高に、ギョっとするほど素の田中俊介に近い役柄だと思うんですよね。でもスクリーンの中にいるのはちゃんと西山くんで、田中俊介じゃない。当たり前のことのようでいて、私はこれがすっごく嬉しかったんですよ。

 

出世作である「ダブルミンツ*15のみつおをはじめ、「HiGH&LOW」*16の雷太や「ゼニガタ*17の八雲くん、「恋のクレイジーロード」の宙也…と、わりあいクセも強くて穏やかじゃない役柄を演じることの多かった田中俊介が、今回真逆と言ってもいいような自然体でやわらかな青年を演じていて、これが!見せて欲しかった!と心の中で拍手してしまった。

 

「魑魅は易く、犬馬は難し」という言葉があって、これは「誰も見たことのない化け物を絵に描くのは『これはこういうもの』と言い切ればいいから難しくない、むしろ誰もがよく知っている犬や馬を描くのが難しい」という古事成語なんだけど、今まで魑魅を演じることが多かった田中俊介の犬馬のひきだしを西山くんで見せてもらえた気がしていて、私はそれがすごく嬉しいなと思ってます。(実際、魑魅なら簡単かといえば一概に言えるものではないし、西山くんも内側にまあまあの魑魅を飼っている青年なんだけど…)

 

魑魅と犬馬、どちらが上か下かという話ではなくて、単純にいろんなバリエーションの推しが見れるのうれしいよねー!ということなんですけどね。推し、犬馬もいけるやん!どんどんやってこ!ということです。

 

あと、田中俊介くんのご両親は喫茶店を営まれてるんですが、田中俊介くんは今回の西山くんの役づくりにあたって、何度か実際に実家のお店のキッチンやホールに立ったそうです。「所詮自分の実家だし、『やれる事はやっときたいな』っていう自分の気持ちの問題で、役づくりなんてそんな大した話じゃないけど…」と照れくさそうに話しておられました。*18

 

それ以外にも、普段は現場で人と交流を持つのは苦手なんだけど、この作品では自分から積極的にスタッフとの交流を持ったり出番のない日も差し入れを持って行ったりすることでチーム間に暖かい空気を作り上げて、その空気感をそのまま作品に反映できるようにしようとしたとか、そういういい映画を作り上げるために自分にやれる事は何かを常に考えて、探して、準備と努力を怠らず作品に向き合う姿勢が、私はやっぱり好きだなー推せるなー!と思いました。推しを褒めたがるオタクなので。

 

あと、劇中で使われてるエンドポイントの食器類のいくつかはそのご実家の喫茶店から提供されたものだそうで、「(食器を持ってきてくれた)両親に普段見せたことのない仕事現場を初めて見せられて、すごく喜んでもらえたのも、親孝行になったかな」とポツリとおっしゃってて、オタクはニコニコしましたよ。

*1:別の監督が書いた第一稿ではそういう展開だったとのこと。舞台挨拶での裏話より。

*2:『デッドエンドの思い出』田中俊介さん&チェ・ヒョンヨン監督インタビュー 現場に起こった運命的なこととは? | SWAMP(スワンプ)|人々を惹きつけるカルチャーの奥深き「沼」の魅力を紹介するWEBメディア

*3:

 

熊の場所 (講談社文庫)

熊の場所 (講談社文庫)

 

 


*4:ユミにばかり肩入れしてると完全にヒールになってしまうアヤだけど、自分が奪った形になってしまっている婚約者の元婚約者の突然の訪問から逃げずに最大限誠実に対応していて、尚且つその後婚約者に改めて釘をさすこともできて、彼女は彼女のするべき事をやり切ってるし本当に強いと思う。

*5:自信ないけど「손안놔」かなあ。今ぐぐりました。

*6:西山くんが発見されたのは長野オリンピックの頃って、それ1998年の話ですよ。20年以上も前…

*7:「あたし韓国人が作ってくれた韓国料理食べるのが夢だったの〜」という発言も、ぱっと見友好的に見えてどこか引っかかるものがあって、でもまだ自分の中で整理がついてない。単に私個人ががさつでずけずけとしたおせっかいな人が苦手な人間ってだけなのもあるだろうけど…。

*8:名前を奪う=アイデンティティの剥奪、代わりの名前を与える=その場所での仮のアイデンティティの付与というのは「千と千尋の神隠し」をはじめ色んな物語で使われてるよね。

*9:ユミはエンドポイントに滞在するあいだ誰でもないユミになる必要があったんだけど、それでもユミにあだ名が与えられなくてよかったなあと思っている。

*10:テレビ塔でのこのくだり、現場でも相当密に何度も打ち合わせてから撮られたそうだけど、私にはちょっとわかりにくいやり取りになっていたように思われてそこがこの作品の中で一番残念に思ったところ。言葉って難しいね!このシーンに限らずだけど、韓国語字幕で見る韓国の人たちにはどういう印象になるのかも気になる。

*11:確か一番最初の先行試写のときは店内を振り返って微笑む西山くんのアップがあった気がするんだけど、そこカットして感情を観客に委ねた完成版もいいよねーと思います。

*12:原作では本格的なバーテンダーを目指す修行に行くことになっています。演者の田中俊介くんは「何かしら飲食の仕事を目指すんじゃないかな」と舞台挨拶で話していました。

*13:ユーミンの「どうしてなの 今日に限って ださいサンダルを履いてた」って歌詞思い出す。あれ天才ですよね。

*14:フード理論てきな視点で読み解いてる人の感想とか読みたいな。

*15:

 

ダブルミンツ

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*16:

 

 

THE MOVIE2、3、DTCの達磨ベイビーズ雷太

*17:

 

ゼニガタ [Blu-ray]

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*18:2019年3月2日テアトル梅田舞台挨拶