Starting all over again / 田中俊介脱退と転校生とその他のこと

昨年2019年11月30日をもって、私の推しこと田中俊介くんは、自身が心から愛してやまなかった所属グループBOYS AND MENを脱退し、所属事務所からも離れ、フリーの俳優としての新しい人生を歩んでゆくことになりました。

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実質活動休止状態になった2018年12月から約1年。グループ活動の一部休止を正式に発表した2019年3月*1から約9ヶ月。
本当に、本当に長い、先の見えないトンネルのような2019年だった。

己の気持ちの整理として、本当は脱退発表のすぐ後か遅くとも2019年終わりにはブログをしたためたかったんだけれど、いつまでもぐずぐずめそめそしたり年末年始でごたついたりしているうちにズルズルと2020年に突入し、もはや田中俊介くん節目の30歳の誕生日1月28日も通り過ぎてしまいました。やんぬるかな。

なので、全然節目でもなんでもない日にお気持ちブログをしたためています。多分間違いなくうんざりするほど長くてくさくさした話になります。

なるに決まってんだろ。推しが夢半ばで脱退したんだぞ。オタクの地が割れ天が砕け星が全て流れ落ちたって話だよ。

あまりにいろんな物事と感情が積み上がりすぎてどこから手をつけたらいいのかわからないけれど、つらつら書き連ねていこうと思います。くさくさが過ぎるのでお気持ちBGMも添えたり添えなかったりします。地獄の長文、適宜読み飛ばしてください。

 

終わりの始まりの始まり


U2 - You’re The Best Thing About Me (Official Video)

 

You’re the best thing about me
The best thing that ever happened a boy
You’re the best thing about me
I’m the kind of trouble that you enjoy
You’re the best thing about me
The best things are easy to destroy
You’re the best thing about me

Why am I
Why am I walking away?

君は僕の最高の出来事
少年の身に起こりうる最高の出来事
君は僕にとって最高の事件
僕は君の頭痛のタネみたいなもんだけど
君こそが僕の最高のもの
素敵なものはあまりに脆くて
君こそが僕の最上の美点

僕はなぜ
僕はなぜ立ち去ろうとしてるんだろう

 

本当にどこから手をつけたらいいのか。差し当たって時系列に沿って話を進めていくのがいいのかも知れない。以降、田中俊介くんのことは「田中俊介」「しゅんくん」「推し」と表記ゆれしまくりますが文脈で推測して下さい。

 私がはじめに明確な異変を感じたのは、2018年11月28日の「ボイメンワールド」。
「ボイメンワールド」は、ボイメンのメンバーが各々自由な内容を展開する個人イベントで、この日の内容は、直前に行われた釜山国際映画祭レッドカーペット&楽屋裏のレポート映像と、いよいよ目前に迫りつつあったボイメンの大勝負・ナゴヤドーム公演に向けた決意表明ムービーの上映。動画の中で、ボイメンと自分の過去の歴史と活動を丁寧に愛おしげに振り返りつつ、ドーム公演という未来に向けた熱意を滔々と語るしゅんくんは、いつも通り自信とやる気と希望に満ちあふれた様子だった。

でも、ステージ上の当人は登場からずっとどこか落ち着かない様子で、目は潤み、声も細く弱々しく、動画を見ている間(実際のところ半分以上は顔を伏せていたように思う)ずっとハンドタオルで目元を拭っていて、さすがにこれはもう感極まってるだとかいう話ではなく、何かただならぬ事が起こっていると感じずにはいられなかった。

上映が終わり会場の観客に向けてイベント終わりの挨拶をする頃には、しゅんくんはもう涙も震えも抑えられなくなっていて、話をきちんと締め括る前に声を詰まらせ「ああ…もう無理だ、ごめん」とだけ言い捨ててそのままステージ袖に走り去ってしまった。いつもだったら、他の9人がいない個人イベントだからみんなの歓声を独占できるのが嬉しくて仕方ない!なんてニコニコ笑って、もっと名前呼んで!と観客を煽り笑顔で手を振りながら客席を練り歩いて、必ず会場に向かって丁寧に一礼してから退場する人なのに。
決してファン歴の長い方ではないけれど、田中俊介のそんな姿は見た事がなかったし、見る事になるなんて予想だにしなかった。

 

それなのに、数日後12月1日イオンモール岡崎でのベスト盤リリースイベントのしゅんくんは、ボイメンワールドでの様子が悪い夢か幻だったみたいに笑顔を振りまいていて、特典会も普段通りのご機嫌で、私はすっかりわからなくなってしまった。あの涙は、弱々しく萎れ切った姿は何だったんだろう。ひどく困惑したけれど、しゅんくんがそう見せたいならば余計なことは考えない事にしよう…と、脳裏をちらつくいくつもの最悪な想像には目を向けないことにした。イベントの直前にドーム公演に向けた事務所の決起集会があったみたいだから、そこで社長にまた無茶なことでも言われたのかな、なんて冗談まじりの話をしたりして。

 

見えないところで何が起こっていようと、知らされていないことは知らなくていいことか、知らない方がいいことだと思っている。
もし本当に何か隠している事があるとしても、向こうに見せたくない事情があるなら、わざわざ暴くことはしたくない。そもそもそんな立ち入った話を聞く権利があるとも思えないし、勝手にネガティブな憶測を膨らませて疑心暗鬼に囚われることも、それを周りに伝播することもしたくない。
それに、向こうはエンターテインメントのプロで、観客を笑顔にするのを何よりの喜びとしている人なのに、例えどんなに心配だとしても、何かあったの具合悪いんじゃないのと詮索するのは「観客を不安にさせるプロ失格の不完全な仕事をしています」と言っているのと同じことに思えて、私には言えなかった。(でも、結果から言えばこの先悪い想像はほぼ全て当たってしまうことになるんだけれど)

 

この日、他の田中推したちから、「11月10日のユニバ*2の時から様子がおかしかった!顔が怖かった!!」と言われた。でも、私は(これを書いている今でも)この日をどれだけ振り返ってみても、普段通り映画の話で盛り上がったり新しい仕事を嬉しそうにニマニマしながら匂わされたり…と楽しい記憶しかなかったし、写真の中の推しもご機嫌で笑っていたので、彼女たちの話を聞いても、それは考えすぎじゃないの、ていうかそんな不機嫌や不調を露わにするなんてまずない人なのにな、と思っていた。その時々に入っている演技仕事にテンションが引っ張られがちな人だから、大阪ではヒゲも生やしてたし*3何かまたバイオレンス系の役でも来てたんじゃないの、なんてその場では結論づけて、とにかくこの時は、そこまでの事態になるとは考えていなかった。ボイメンワールドでの異変はずっと気にかかってはいたけれど、生真面目すぎる、責任感の強すぎる人だから、ドームに向けて気負いすぎてしまってるのかもな、他に9人も仲間がいるんだからどうか肩の力を抜いてほしいな、とだけ願っていた。

 

不安と違和感がまたじわじわ侵食を始めたのはその翌日、12月2日イオンモール常滑のリリースイベント。
ライブ中、いつもだったら歌詞に合わせてくるくる表情を変えながら笑顔を振りまくしゅんくんの表情がどうにも硬い。動きにも覇気がない。いつもならMCの時は積極的に相槌や軌道修正を挟み込んで回し役のサポートにまわるのに、ずっと押し黙って会話に入ってこないし、目線はどこかおどおどして笑顔も口端を少し動かす程度で、とにかく硬くて暗い。こわばっている。

前日の岡崎は屋内ステージだったけれど常滑は屋外の海風吹きっさらしだから、いつも上機嫌なところしか見せなくて心配になるくらいの田中俊介だけど、寒さだけは苦手みたいで寒いと元気なくなるから*4そのせいかもしれない、と思おうとした。実際、1部の屋外特典会では、いかにも寒そうにベンチコートにくるまって縮こまっていたし。それに、リリイベとチケット手売りとドームのリハとその他のお仕事で時期的にもメンバー全員どう考えてもオーバーワークな頃だったから、いよいよ過労やストレスで体調を崩して無理をしていてもおかしくないようにも思えた。

でも、2部の屋内特典会になるといつもの笑顔が戻ってきて、列の後ろの方までガハハ!と普段通りの元気な笑い声が聞こえて来るくらいになっていた。
それでも、やっぱり胸の中にじんわり広がっていく不安と心配のいやな滲みはどうにも消せなくて、友達に「風邪か疲れか心労かわからないけど、どうにも様子がおかしくて心配なんだよね…」という話をしつこいくらい何度もこぼしたのを覚えている。

 

そして12月19日、ベスト盤リリース日のプライムツリー赤池で、異変はもう完全に決定的なものになってしまった。

表情はもう一切動かない。口は真一文字で瞳はうつろで光を失い、硬くて重苦しくて、いっこも楽しそうじゃないし、ましてや観客を楽しませようなんてところとは程遠い、「田中俊介」という人がライブ中に見せるなんて考えられない顔。最低限歌って踊って、どうにかライブをこなしてはいても、心ここに在らずで、ステージに立っているのが苦痛でしかないとしか思えない顔だった。

今自分は誰を見ているんだろうと思った。しゅんくんの顔と姿をしていても、あれは私の知っている田中俊介じゃない。ボイメンを心から愛して、エンタメに魂を捧げて、観客の期待に応え、それを上回って楽しませ喜ばせる事ばっかりを考えてるあの人じゃない。外側の入れ物だけ残して魂が抜け落ち、空っぽの人形になってしまったみたいだった。怖い、怖い、もうやめて、と何度も悲鳴を上げそうになった。パニックを起こして、ライブが終わってすぐ友達たちにどうしよう何が起こってるの怖いよと泣きついた。何が起こってるのかなんて、もうどうしようもなくわかりはじめていたけど、直視するにはしんどすぎた。

ライブ後の特典会、何を言えばいいのかあんなに悩んだ事はないと思う。散々悩んだけれど、思い切って「いよいよドームが目前ですけど、体調はいかがですか」と聞いたら、少しこわばった、けれど優しい微笑みを浮かべながら「ん〜?大丈夫大丈夫、普通普通」と言われたけれど、全然大丈夫でも普通でもない目をしていて、ああ、嘘をついているなあ、としみじみ思った。*5そりゃそうだよなあ、この過剰なくらい頑張りすぎる人が一介のファンに大丈夫じゃないなんて弱音を言うわけがない。でも君がそういうことにしたいなら、そういうことにされておくよ。ごまかされたことにしておくよ。大好きな人がこんなに苦しそうなのに、声にならない悲鳴を上げているのに、当たり前だけどただのファンごときには何にもできない。しんどいな、やりきれんな、と思った。今もずっと思ってる。

 

 この日を最後にナゴヤドームまで、しゅんくんはリリイベからもBMシアターでのライブからも、公式twitterや、このところは休みがちだったとはいえ毎日あれだけ更新を欠かさなかったブログからも姿を消すことになる。

しゅんくんが表舞台から姿を消しているしばらくの間も、雑誌のインタビューや「ボイボイ無限大」の名作選で、元気だった頃の姿の貯金が少しずつ少しずつ払い出されるような日々が続いた。何だか、はるか遠くの星の光が遅れて届くみたいだなと思っていた。いま我々の目に届いてる星の光は、そこにあるように見えても実際ははるか昔に星を出た光で、その星そのものはもう存在しないかもしれないんだよなあ。

 

2019年1月14日のナゴヤドームライブ、正直、会場に入ってからしゅんくんのブログ*6更新通知がスマホに届くその瞬間まで出演を確信できなくて欠席でもやむなしと思っていたけれど、幕が開いたらしゅんくんはちゃんとステージに立っていた。おしゃれでやっているとは思えない明らかにどこかおかしい坊主頭で、若干顔色も悪くてむくんでるし、相変わらずこわばった苦しそうな表情のまま、ダンスや照明のせいだけじゃないと思われる汗をだらだら流していたけれど。

ちゃんとライブが終わる最後まで立っていられるのか、途中でぶっ倒れるんじゃないかと見ていてずっと怖くて気が気じゃなかった。何より、これまであんなに愚直に頑張ってきた人がようやく辿り着いた念願の夢の舞台なのに、それなのに万全の態勢で立たせてくれないなんて、羽根を折り丸裸にして放り出すなんて、運命ってやつはなんて残酷なんだ、神も仏もありゃしないって、ずっと悔しくて仕方なかった。そんな中でも折れずにステージに立つと決めたしゅんくんの決意を受け止めて応援しなくちゃと全力で名前を叫んでシルバーのペンライトを振ったけれど、でも、それでもとてもじゃないけど楽しいライブだったとは言えない。楽しいところがひとつもなかったわけではないし、頑張った他のメンバーにもスタッフの皆さんにも大変申し訳ないけれど。どうか最後まで倒れないでくれ、できれば一瞬でいいから笑顔を見せてくれ、一言でいいから言葉を聞かせてくれって、頭の中はそればっかりで、涙目でひたすら祈り続けていた。

あれだけしんどそうだったのに、ライブ終盤のコントコーナーでは急に見違えるように元気におじいちゃん役を演じていて、どういうことよ!と笑いながら、やっぱりそういうことなんだろうなあ、とぼんやり噛み締めていた。役を被れば、自分じゃない誰かになれば、少し楽になれるんだろうなあ。それでも最後の最後、オーラスのChance For Changeで会場にサインボールを撃ち込んでるときの「欲しい子〜?」っていう、久しぶりに聞けた、小さくかぼそいけれど優しい声は今もずっと忘れられない。

 

その後、約10日後のベスト盤のユニバに現れたしゅんくんは、プラチナブロンドの坊主頭になっていた。*7相変わらず表情はこわばったまま、目はうつろで顔色も悪く声もか細いままだったけれど、映画の話になると言葉に力がこもったし、1部から5部の長丁場をやりきって最後の5部の別れ際にはいつものサムズアップをしながら口元だけで少し微笑んで、今年の活動にも期待してろと心強い一言をくれた。
しゅんくんは折れてないし諦めてないし、どんなに辛そうでもその姿を隠さず晒していくことを選んだんだから、いち傍観者の私が勝手に折れてらんないよなあその覚悟見届けないとなあと、雪のちらつく帰り道を行きながらすこし泣いた。

 

 翌2月3日に109シネマズ名古屋で行われた、ボイメンの水野、田中、小林、本田がそれぞれ主演を務めたオムニバス短編映画「ジャンクション29」の完成披露プレミア舞台挨拶。
映画関連のお仕事となればいつも以上に張り切って熱が篭るのがいつもの田中俊介だけれど、他のメンバーと共に劇場に現れたしゅんくんは、話を振られるまではずっと目を瞑り俯いたまま、マイクを持つ右手の手首を左手で固く握り締め、何かをぐっと堪えているように見えた。1月よりは少し回復しているようにも見えたけれど、まだまだ全然しんどそうで、それでもここに立つことを選んだ覚悟と責任感は紛れもなく田中俊介そのもので、全然泣くような映画でも話でもなかったんだけどずっと涙が止まらなかった。

 

この日は、夕方からシネマスコーレで田中俊介の主演作品「デッドエンドの思い出」とメイキングの上映後舞台挨拶も行われる事になっていた。でも、午前中に109シネマズで見た田中俊介はまだとてもじゃないけどひとりで舞台挨拶をこなせる状態には見えなかった。サポートしてくれる他のメンバーもいないのにどうなってしまうんだろう…と不安を抱えたまま劇場に入ったんだけれど、上映後の舞台挨拶で私は信じられないものを見る事になる。

上映後、「どうも!どうも!ありがとうございまーす!!」と元気よく満面の笑みで田中俊介が、私のよく知っている、明るく元気で溌剌とした姿の田中俊介が劇場に駆け込んできたのだ。
自分の目が信じられなかった。私は何を見てるんだろう?これがさっきまで青ざめて震えて今にも倒れそうだった人と同じ人間か?まるでこの劇場の中だけ去年の夏まで時間が巻き戻ったみたいじゃないか。

その後の握手会で会ったしゅんくんは、こんな姿見るのいつぶりだろうっていうくらい元気で、瞳もキラキラ輝いて、特別なときしかしないような力強い握手をしてくれて、*8感情がグチャグチャになったまま名古屋駅のトイレに行って、ああこれは、自分の勘なんて信じたくなかったけど、いよいよもってこれは認めざるを得ないなあと観念してしばらく泣いた。

 

しゅんくんは、ボイメンがつらいんだ。
好きか嫌いかじゃなく、ボイメンがしゅんくんをつらくさせているんだ。

 

あんなに愛して、すべてを捧げて、自分は一生ボイメンだから、いくつになっても学ラン着てみんなと笑ってたいから、だからこれからもボイメンを続けていけるように、名古屋に恩返しをするために自分にできることをやって、グループに還元していきたいんだって、そればっかりを口にしてきた人なのに、それを剥ぎ取られ、押し潰されそうになってるんだ。
そんな、そんなことってあるか。あんまりじゃないか。

 

見えない傷、見えない痛み(自分からも)

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If you're ugly, I'm ugly too
In your eyes the sky's a different blue
If you could see yourself like others do
You'd wish you were beautiful as you

And I wish I was a camera sometimes
So I could take a picture with my mind
I'd put it in a frame for you to see
How beautiful you really are for me

君が醜いってんなら俺だって醜いよ
君の目には空の青さえ映らないの
もし君が他人の目を通して君自身を見られたなら
きっと思うはずだよこんな風に美しくありたいって

時々思うんだ 俺がカメラだったらよかったのにって
そしたらこの心に映る君をそのまま写し取れるのに
そいつを額に入れて君に贈るよ
君が俺にとってどれほど美しいかを君にも見て欲しいから

 

ここからは長くて情けない自分語りをすることになってしまう。でもちょっと我慢して聞いてほしい。

 

散々言われてきたことではあるけれど、体が傷を負ったり病を得たりするのと同じように、心も傷を負うし病を得ることもある。

でも、その傷も痛みも形のないもので、他人からはおろか、自分からも見る事ができない。目に見えないからなかなか自覚を伴わないし、症状の重さもはっきりとはわからない。例えば、打撲傷みたいにはっきりと大きなアザと腫れでもあれば、深い深い切り傷が口を開いてどくどくと血があふれていれば、これはただごとではない、何とかしなければと、他人にも自分にもわかる。でも心はそうじゃない。

そして、生真面目で人に頼るのが苦手な人ほど、目に見えない根拠のない苦しみを周囲に訴えたり、ましてや助けを求めたりする事は難しい。自分に堪え性がないだとか努力が足りないだとか思い込んで、どうにか飲み込もうとして抱え込んでしまう。でも、見えないからって傷を手当てせず無理矢理抱え込もうとすることは、その傷を上から更に殴りつけ切りつけ続けるのと同じことなんだ。

 

自分の話を書くのはしんどいし恥ずかしいけれど、私は小学校から高校までいわゆる「優等生」の「できる子」だった。勉強ができて、「長」のつく仕事や面倒事を率先して引き受けて、親や先生から「ひとに頼られることはあっても頼ることはない、ひとりで大丈夫なこども」と思われている子供。何より、自分で自分がそう思われていることを自覚していて、その道を外れてはいけないと思い込んでいた。自分は絶対にそう有らねばならないし、周囲の期待や信頼を裏切ってはいけない。

(今思えば、という話で、当時はわかっていなかったけれど)その思い込みの重圧は少しずつ心身を蝕んでいった。朝起きられなくなり、授業中もどうやら瞬間的に意識を失うように眠っているらしく、黒板からノートに目を移しまた顔を上げると黒板が全面書き替わっていることが頻繁にあった。教科書を開くと文字が全部緑や茶色に変色して紙から2cmくらい浮き上がって見えた。感情が高ぶったり緊張したりすると涙が勝手にぼろぼろ出てきて体がこわばり、見えない力に押されて椅子から落ちそうになった。尾籠な話だけれど、高校2年くらいで血尿と下血が止まらなくなった時はさすがに「これはもしかしたら死ぬような病気かも」と思ったけれど、ここまで心身が壊れても全部自分の弱さのせいだと思っていた。今思えば完全に異常で危険な状態なのに、助けを求めようなんてこれっぽちも考えられなくて、自力でどうにかできなければ死んでもまあ仕方ないかと本気で思っていた。意識を失うことやトイレが真っ赤になることより、人に助けを求めるような弱い人間なんだと知られて落胆されたり幻滅されたりする方がよっぽど怖かった。

そんな状態のまま高校を出て、最初の職場に就いた。どうにか日々をやり過ごしていたけれど、蓄積されてきた歪みは限界にきていた。そしてある朝の通勤中、職場が見える交差点まで来た時、そこから一歩も足が動かなくなり、そこまで来てようやく、ああこれはもう完全に無理なやつだ、と悟った。そのまま職場に初めての当日欠勤の連絡を入れて、でもそこからどうすればいいのかわからなくて、とにかく「こころの電話」に電話をかけてみた。何度かけても話し中で、世の中にあふれる悲鳴の多さをはじめて知った。このままでは自分が自分を許せず殺してしまうという明確な確信があったけれど、でも殺すのも、死ぬのも嫌だった。殺したい方の自分を黙らせてどうにか生きなくてはいけない。通勤経路に精神科があったのを思い出して、午後の診察の予約を取り、書店に行って精神疾患に関する本を探した。ようやく自分の中の「大丈夫じゃない」に向き合って、外側に助けを求める方法を探し始めた。

 

長々とした自分語りお恥ずかしい限りですが、私のメンタルブレイクダウン元年はこんな風に始まって、以来浮き沈みを繰り返しつつ現在に至っている。

 

確か椎名誠のエッセイだったと思うけれど、プロレスラー前田日明の「レスラーにとって、骨折や打撲のように後を引かず治るものは怪我のうちに入らない。捻挫や腱の断裂のような、先々までずっと後をひくようなものが本当の怪我だ」という談話を読んだ事がある。人それぞれではあるけれど、悲しいかな多くの場合、心の傷は後者の怪我だと思う。痛めた腱が天気や寒さで傷んだり捻挫した足首に捻挫癖がつくみたいに、一度治ったような気がしてもいつまでもいつまでもつきまとってくる。皮膚炎や神経痛みたいに季節性の周期も把握して、要注意の時期は安静にひたすら養生しながら暮らす必要もある。そして、花粉症をはじめとするアレルギーみたいに、急に何かのバケツがあふれてしまって、受け入れる事ができなくなることもある。

 

精神疾患に関する書籍を読み漁っていた時、精神疾患にかかる人の多くは「自分より他人に優しくて責任感が強く、何事も人任せにすることのできない生きることに対して真面目な人」だと読んだ記憶がある。*9本当にそうだと思う。そして、これはまるで田中俊介の紹介文みたいじゃないか。

田中俊介のファンになって、ボイメンの現場に通うようになって以来ずっと、この人はこんなに何事にも真摯に向き合い、常識では考えられないくらいストイックに努力を重ね、いつもひとの背中を押し続けて、じゃあ君の弱さはどこに吐き出して誰が受け止めてくれるんだ、と思ってた。もちろんプライベートの事なんて推し量りようもないから、きちんと何かしらの逃げ場や受け皿になってくれる人があるのかも知れない。そうであってほしい。それにしたってファンに見せる姿はいつも完璧超人すぎて、推しの人間らしいところたまには見てみたいよなんて冗談半分本気半分に何度も言ったこともある。

冗談半分ではあったけれど残り半分の本気の部分では、公式に「ストイックシルバー」なんて二つ名を授かるほど、謙虚で、勤勉で、心配性で、メンバーにすら弱みを見せたり頼ったりするのが苦手で、我欲を出さず、仕事でも握手でもいつもその場と相手に求められる自分を鋭敏に察知して演じ分けるような人が、どういう魔物に足を掴まれるか、ずっと知っていた。

ああ本当に、それにしたって、よりによってそのバケツがあふれてしまうなんて。一番大切に、一番強く想っていたものだから、仕方ないのかも知れないけれど。

 

眠れる獅子の長い眠り

 同2月24日、愛知県下複数の劇場で行われた「ジャンクション29」封切記念舞台挨拶。
この日になると、しゅんくんの容態はかなり上向いているように見えた。午前中のうちはたどたどしかった言葉も午後にはかなり滑らかになって、本田くんと2人で受け持ったセンチュリーシネマでの舞台挨拶では、観客からの「作品内の別の役を演じるとしたら?」という質問に笑顔で「『バズる』の水沢紳吾さんの役ですね!合法的に本田くんをいたぶれるので」なんて冗談を飛ばせるくらいになっていて、全然泣く流れじゃないのにハンカチに隠れてこっそり泣いた。

その後、「実際に映画の設定と同じ29歳になってみてどう感じていますか?」という質問に、「今までぐわ〜っと水の中を進んできて…(クロールの動作をしながら)でも、もしかしたら息継ぎも必要なのかな?みたいな感じというか…。僕ら『アクアマン』*10ではないので、息継ぎなしにぐわ〜っとはいけなくて、あれっ?おかしいな苦しいぞ?みたいな…やりたい気持ちはあるのに思うようにやれなかったり、進めなくなったり…うまく言葉にできないんですけど、そういう事に気付かされる歳というか…」と、考え込みながら丁寧にぽつりぽつりと返す姿に、思わず胸が詰まった。すごく大切な話をしてくれていると思ったし、弱みを見せたりつらさを訴えたりすることが苦手な人が、どこから見ても死にそうにつらそうで全然大丈夫じゃないのに「大丈夫大丈夫」と言っていた人が、今はこんなデリケートな胸の内を吐露してくれている。おこがましいかもしれないけれど、ファンのことを信頼して、寄り掛かってくれるようなったのかもと感じた。信頼して、寄り掛かってくれるなら、こっちもどこまでも誠実に応えたいと思った。ファンにできることなんてそれくらいしかないけど、それくらいしかないからこそ全力で応えたい。

このイベントの後、翌月3月に公式ブログで田中俊介のボイメンとしての活動の休止が発表されて、薄ぼんやりとした不安と心細さと微かな期待が絡まりあったままボイメンと田中俊介両方を追いかける、心がぐらぐらして休まらない2019年が始まった。

 

ボイメンを離れた田中俊介は、見違えるように溌剌として精力的にどんどん新しい分野にも進出しながら個人の仕事をこなしていった。追いかけるこちらは現場の数も遠征もボイメンの頃と同じか、特に遠征に関してはもしかしたらそれより多かったかもしれない。*11療養のために活動を休止している筈が全然休んでいる様子はなくて、さすがに少し疲れが溜まって見える時もたまにあったけれど、それでも舞台挨拶ではいつも笑顔を振りまいて、軽快な喋りで会場を笑わせて、握手の時には固く手を握り返しながら「ありがとう」「一緒に頑張ろうな」と、絶対自分の方が苦しいだろうにこちらの背中を押してくれて、ああ、私のよく知ってる田中俊介が帰ってきたんだなあ、と思った。
でも、あれだけ「『BOYS AND MEN』!『BOYS AND MEN』の田中俊介です!!」と、水野勝に「選挙かよ」って笑われるくらいどこの仕事でも必ずグループの名前をゴリ押ししていた人が、絶対に「ボイメン」という単語だけは口にしなくて、プロフィールや肩書きからもBOYS AND MENの名前は除かれていることがほとんどだった。口にするのも耳にするのもつらいからかも知れないし、自分の我儘でグループに負担をかけていると思い込んで無用な後ろめたさを感じていたのかも知れないし、グループの名前には頼れないと意固地になっていたのかも知れない。どれも違うかも知れないし全てかも知れない。それがすごくすごくつらかった。
それに「ボイメン」というものを避けているであろう人を、「ボイメン田中俊介」のファンだと本人にバレている私が追っていていいんだろうか。田中俊介の動員の数字にはなりたいけれど、客席にいるのを見つかったら、サイン列に並んだら、ボイメンのことを思い出したり復帰へのプレッシャーになったりして苦しめることになるんじゃないだろうか。
そんな私にわかるはずもないことで、頭の中がいつもぐるぐるして悲しかった。

 

ボイメンの側も、頼れる兄貴分であり実質No.2の存在を思わぬ形で失って、はじめのうちはなかなかバランスを取れず戸惑っているように見えた。ファンと同じように、メンバー側もまさかよりによって田中俊介が躓くなんてことは想像してなかったんだろうと思う。100人近くの中から次々にこぼれ落ちていって10人まで絞り込まれたボイメンだけれど、その中でもはじまりから今までずっと折れることなく先陣を切ってきた人、ここだけは欠けることはないだろうと思っていた一角。それが欠け落ちてしまった。

でも、崩れた均衡は少しずつ建て直されて、日頃からどんな変則メンバーでもライブをこなせる柔軟さや全員が喋れるよう鍛えられてきたバラエティ力がものを言って、今までレギュラーのなかった地方局の仕事や全国放送の個人仕事もどんどん勝ち取っていった。シンカリオンとその劇場版での躍進なんてめざましいの一言だったと思う。でも、ライブ活動は名古屋の持ち箱BMシアターでのものが主、新譜リリースもシングル2枚アルバムなしだったし、ライブでも田中不在で発表した新曲は別としても、既存曲のフォーメーションでの田中俊介の立ち位置はほとんどの場合そのまま空けて、銀色の学ランが帰れる場所を残しておいてくれていた。田中推しの欲目かも知れないけど、できるだけ田中俊介とそのファンを置いて行かないように、遠くまで走るんじゃなくてその場でより高くジャンプしながら、仲間を支えるための力を蓄えつつ待っているような、帰って来られる場所を守っているような、そんな活動をしているように見えた。

だけど、相変わらずラジオやMCに田中俊介の名前がのぼることはほぼなかった。本人がやめてくれと言ったのかも知れないし、メンバーたちの戸惑いや不器用な気遣いの表れだったのかも知れない。でも私はいちいち現場のたびに、今日もしゅんくんの話出なかった…なんて落ち込んでいじけていた。ごく稀につじちゃんたむちゃん吉原くんがリプライを送ってくれたり、本田くんがインスタライブで話題に出してくれたりする事があって、そんな時は砂漠に雨が降ったみたいに飛び上がって大喜びした(田中側からのリアクションは頑になかったけれど)。けんちゃんも、メンバー全員の写真をブログに上げる時には10人揃ったものをピックアップしてくれていた。

特につじちゃんは、本人以外へのリプライでも「うちの眠れる獅子のシルバー」と田中俊介を話題に出してくれたし、ライブでは「9人でもこんだけすげーんだから10人になったらもっとすげーぞ!!」と会場を煽ってくれた。プライベートでも時間を作って田中俊介の出演舞台の観劇にも行ってくれた。つじちゃんのしゅんくんを諦めない姿には、どれだけ励まされたかわからない。

 

先にグループ本体を好きになってから推しを見つける人もいれば、推しを好きになったから所属しているグループも好きになる人もいる。*12 
私の場合は、まずうっすらとボイメン本体の存在を知って、その後田中俊介のこともボンヤリと知り、「たぶん私はこのグループが好きだし、中でもこの人のことが大好きになる気がする」と狙った沼に飛び込むような形でボイメンを好きになった。その後、田中俊介のグループへの深い、ちょっと深すぎるくらいの愛情を知るほどに田中俊介のことが一層好きになったし、ボイメンの他のメンバーたちも負けないくらいグループを、そしてお互いを深く愛し、信頼し、強い絆で固く結ばれていたからこそ、BOYS AND MENというグループを大好きになった。
ややこしい書き方になってしまったけれど、つまり、私の好きな田中俊介は「ボイメンが大好きな、いつもボイメン最優先の田中俊介」だったし、私の好きなボイメンは「仲間を愛し、支えあい、絶対に諦めないボイメン」だった。どちらが先でも後でもなく、その両方があったからこそこんなにボイメンと田中俊介を好きになれた。もしそれが夢物語だとしても心からその夢を信じることができた。だから、田中俊介とボイメンには常に相思相愛であって欲しかった。でも、今やその確信を得るのはとても難しくなってしまって、想いが通じ合っていると信じられなくなりそうで、ひたすら苦しかった。

 

「転校生」はどこへ

 ボイメン休止中に田中俊介が出演した舞台はふたつあって、ひとつは朗読劇「ダークアリス」*13。そしてもうひとつが、舞台「転校生/男子校版」。*14つじちゃんに少し遅れて私が鑑賞したのは、2019年8月26日(月)の千穐楽公演だった。

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PARCO Produce 舞台「転校生」

舞台はとある男子校。物語は、ある朝突然に転校生が現れるところから始まる。

転校の理由を尋ねられ、「わからないけれど、朝起きたら今日からここに通うことになってた」と、筋の通らないことを言う彼を、クラスメイトが「カフカの『変身』じゃん!」とからかう。ある朝目覚めると、巨大な虫の姿になっていたグレゴール・ザムザ。ある朝目覚めると、転校生になっていた彼。ある日突然、前触れもなく、抗うこともできないまま不条理に訪れる望まざる変異。剥ぎ取られる外見、名前、居場所、アイデンティティ

ちょうどクラスでは「世界の高校生について」というグループ研究課題が出されている。“転校生”が加えてもらったグループにはリーダー的に信頼を集めている“シュンスケ”がいる。世界の高校生について各々が集めてくる情報は、内戦や対立といった不可抗力に、理不尽に学ぶ場所を奪われたり命そのものを脅かされる高校生の話がほとんどで、遠い国の他人事のように話していてもどこか仄暗く重苦しい。

やがて物語の終盤、卒業を間近に控えているのに、レポートの完成も見ることなく“シュンスケ”が親の都合で遠くの学校に移ることが明かされる。
今度は彼が「転校生」になるのだ。

 

俺は行かなきゃいけないから、レポートの続きはお前に任せた、本当は見た目ほど仲良くもないけどさ、でもみんな大切な仲間だよ、と“シュンスケ”は“転校生”に語りかけながら、ここは◯◯の席、ここは◯◯の席、と教室の机をひとつひとつ愛おしげに撫でて、最後に、ここが俺の席、と宣言し、自分の席を示す。その“シュンスケ”の姿と、カーテンコールで傍目からもわかる深い敬慕をもって出演陣に囲まれ、その真ん中で幸せそうに一緒に泣いて笑っている田中俊介の姿が、私の頭の中で次第に境界を失い混じり合い、心の中はかき乱されてぐちゃぐちゃになってしまった。

これはお芝居なんだと分かっていても、席を蹴って立ち上がり叫びたくなった。君の席はそこじゃないでしょ。いや、確かにそこにだってどこにだって座っていいし、いつか自分の座りたい席ならどこにでも座れる人になって欲しいと願ってきたけれど。でも、君の本当の席は名古屋にあるじゃない。帰ってきてくれと願う君の仲間たちがそこでずっと待ってるのに。幕が下りても気持ちがざわついたままで、ねえつじちゃん、と心の中で何度も呼びかけた。つじちゃんこれ見てどう思った?つじちゃんあそこからあの人を引っ張ってきてよ。名古屋から転校なんてさせないで、取り返してよ。そんな風に、小さい子供みたいにむずがって泣きわめきたかった。

 

「人間の存在は、明日の朝起きてみると虫になっているかもしれないほどに根拠がなく不確実です。それでも、私たちは、この「生」を受け入れなければならない。(中略)出演するみなさんは、もう一つ、才能という不条理に立ち向かわなければなりません。俳優を続けるなら、それと戦い続けなければなりません。もしこの舞台が、その一つの出発点になるなら幸いです。」
平田オリザ

「今回、全員がプロフェッショナルな俳優を目指す、あるいは俳優になると決めている方という条件を前回よりもより強くオーディションの時に皆に言いました。じゃあ、プロってどういうことなんだろうって、よく考えるんですけど。あきらめないですよね、これで、この仕事で、この役者という仕事で、生き残るんだ、って。映画監督も同じですが、継続ですよね、絶対に。覚悟の問題だと思います。」
本広克行

(舞台「転校生」パンフレットより引用抜粋)

2018年1月24日、29歳の誕生日を控えたボイメンワールドでしゅんくんは、ボイメンに加入し芸能の道に進む決意を固めた20歳の時、両親から「30歳までは好きなように頑張りなさい。でも、30までに芽が出なければ諦めて帰ってきなさい」と告げられたことを教えてくれた。遡って2017年9月13日のBM SHOP&CAFE店長イベントでは、「自分はいくつになってもボイメンのつもりだし、ボイメンというグループが続いていけるようにできる限り努力し、グループに還元していきたい。でもそのためには各メンバーが一人でもやっていけるくらい個人の力を伸ばす必要があるし、それを怠ったらこの先、長くても…保って2年ってところじゃないかな」と話していた。

なんて悲観的だよ、とも思ったし、ちっとも浮かれず地に足をつけて現実的に先を見据えているんだな、とも思った。それにしたって、ひとの人生が5や10の倍数刻みでキリよく進むわけがないんだから、妙な「30歳の呪い」みたいなものは捨てて欲しかった。この呪いも現状しゅんくんをこんな状態にしている一因なんだろうなと今も疑っている。

だから、「ここは、俺の席」と噛み締めるように言ったセリフが、役が言わせているだけではない田中俊介自身の、ここで、舞台の上で、客前に立つ世界でこれからも生きていくという強い覚悟の響きを帯びていたのはとても嬉しかった。でも同時に、グループには戻らずひとりの俳優として生きる道を選び、名古屋を離れ、自分ひとりの足で歩いて行ってしまう未来を宣告されたような、そんな、取り残されるような心細さに胸を締め付けられた。

 

I have a bad feeling about this

悪い知らせはスマホの通知音が鳴った瞬間わかるのは何故なんだろう。
恐る恐る画面を見て、通知に並ぶ「田中俊介に関するお知らせ」の文字に、ああ、ついにその時が来たか、と下唇を噛んだ。それにしたって何で11月30日なんだ。早すぎないか。むやみに几帳面な人のことだから、いい知らせでも悪い知らせでも、何かあるなら年が終わる12月31日か誕生日の1月28日か、休止を発表した3月14日だと思っていた。もしかしたらボイメンワールドから1年だったのかも知れないし、事務処理の都合かも知れないし、特に何の節目でもなく、キリがいいわけでもなく、ただその時が来ただけかも知れない。
でも、最近はすっかり元気になって「信じてついてきてほしい」なんて言うようになっていたし、ボイメンの側でも「10人になったら…」とライブのたびに言ってくれていたから、ちょっと油断していた。事態がいい方向に転がるんじゃないかって、甘い夢を見ていた横っ面をひっぱたかれてしまった。
ついに知らされた病名は「適応障害」だった*15。そうだね。そうだろうね。知ってた。

本当に、本当に、身を裂かれるように悲しかったけれど、同時に「よかったね、これでもう苦しくないね」とも思った。休養するためにグループを離れてたのに結局みっちり映画に出て舞台に立ってファンとの接触もこなして、全然休んでなんかいなかった。(多分、しゅんくんにとっては必要なリハビリでありセラピーの面もあったんだろうけれど)何より、おそらくしゅんくんを苦しめる原因になっているボイメンとのつながりを絶たないのはどう考えても適応障害にとっていい状態とは言い難かっただろうし、責任感が強すぎる人にとってはむしろ「メンバーとファンを待たせている、迷惑をかけている」って己を責め続ける要因にもなっていたんだと思う。
そんなの全然迷惑じゃないし全然待たせてくれてよかったのに。心の病がこんな甘っちょろい休養で治るもんじゃないことくらいこっちは身をもって知ってるんだ。覚悟はできてるんだから、何年だって待たせて欲しかった。だけど、これもしゅんくんを苦しめることにしかならないこっちの勝手な願望なんだよなあ。
あの人は、ファンとそして多分メンバーの「待たせて」「行かないで」にボロボロになりながら1年弱応え続けてきたんだと思う。12月の握手での、全然大丈夫じゃない顔で「大丈夫大丈夫」と言っていた顔がよぎる。もう頑張らせちゃいけないよなあ。これ以上苦しんでほしくない。本当にしゅんくんのことを思うなら、いい加減ここで幕を引いて、自由にしてあげなきゃいけない。今までありがとう、苦しませてごめんね。これでやっと楽になれるね。

しばらくの間うまく悲しむこともできずにいたけれど、すぐに水野を筆頭に続々とメンバーのブログが更新されて、メンバーと一緒に少しずつ悲しんだり泣いたりできるようになった。みんな心から悲しんで、苦しんで、ギリギリまでどうにかできないか必死にあがいた上での苦渋の決断だということが伝わってきた。けんちゃんのブログには仲間を救えなかった悔しさがありありと滲んでいたし*16、吉原くんの仲間をかばう優しさにはボロボロに泣かされた*17。いつも言葉数は少ないけれど誠実で正直な勇翔のブログも深く心に染み入るようだった*18

待ち望んでいたつじちゃんのブログは、最後の最後にやってきた。ああ、ここに全部の答えと欲しかった言葉があった、と思った。つじちゃんの実直な言葉と優しさが私は本当に大好きだし、宝だと思う。

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 憶測や疑心暗鬼に囚われたくないとか言って、結局はそれにふりまわされていたな、と思った。田中俊介とボイメン残り9人の絆を疑った自分を恥じた。誰が一番苦しんでるかなんて考えなくても分かりそうなもんなのに。この10人以上に深く苦しみもがいた人も、悲しんだ人もいるはずがない。その10人が悩んで、悩み抜いて、これが最善だと信じた選択を、悲しみこそすれ誰が責められようか。

それに、やっと、ここから始まるんだと思った。戸惑いうろたえながら問題を保留して引き伸ばしても状況が解決しないなら、ここで一旦終止符を打って、どちらも新しく仕切り直す時が来たんだ。メンバーのみんなもブログに書いていたけれど、お互いが思い合ってさえいれば、いつになるかはわからないけど、この先きっとまた運命が交わる時は来る。ここで全てが終わりじゃないし、むしろ回復と復帰の可能性は前より出てきたんじゃないか。実際にそういう奇跡の復活や再結成をいくつも目の当たりにしてきた諦めの悪い洋楽畑の人間だから、未来を信じて待つことには慣れてるんだ。新しいスタートを切ったばかりの人たちにもう復縁の願望を抱いて申し訳ないけれど、気は長い方だし、今度こそ心置きなくしぶとく待たせてもらおう。だからいつか、元気になったら、心の整理がついたら、また学ラン着てみてもいいかななんて思えたら、いつでも帰ってきてよ。期待してないふりしながら待ってるよ。
でも、そのためにはボイメンも田中俊介もお互いに、いつか来るその日まで生き残っていかなくちゃならない。特に、フリーになった田中俊介にはもう後ろ盾も何もない。そういう現実はあるけれど、でもこれまで10年、夢と理想を掲げて突っ走り、力技でがむしゃらに現実を乗り越えて来たんだから、いつかきっとこの夢も叶えてくれるんじゃないかと思っている。夢叶えてなんぼのボイメンだから、この人たちならきっとやれると信じさせてくれる力のある人たちだから、そう信じて祈ってる。

 

エンドロール

なんてうんざりするほど長い話だったんだ。しかも読みにくい。
ここまで読んだ人いますか。すごいな。お疲れさまでしたそしてありがとう。なんてもの好きな人なんだ。ほんとありがとうね。夢、信じて叶えていこうな。

シメとして、ボイメンと田中俊介にもこんな未来が来たらいいな、と思っている曲を紹介します。BON JOVIがほぼほぼバンドの死みたいな活動休止から復活して最初に出したアルバム「Keep The Faith」のボーナストラックです。明るい曲なので、最後はぱーっと楽しく終わりましょう。

 

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I've been waiting, standing in the dark for hours
Tryin' to find the faith and the power to get back home to you
It's been a long time, long time since I've seen your face
On and on I could not replace the fire that burns for you

So here's to the good times, here's to the bad
Here's to the memories that we all had
Here's to tomorrow, let yesterday pass us by

Tonight we'll be starting all over again
And it feels like the first time
I'll never feel this way again
Starting all over again

Do you remember, remember the odds we were given
When we had nothing and we thought that was living
It's been such a long, long road

Here's to our old friend who helps us get by
Here's to the dreamers, may the dreams never die
If we believe we can keep all the good times alive

Tonight we'll be starting all over again
And it feels like the first time
I'll never feel this way again
Whoa,tonight we'll be starting all over again 
And it feels like the first time
I know whenever we're together my friends
It's like starting all over again

ずっと待っていたよ 闇の中に立ち尽くして
信念と力を掴み取ろうとしてたんだ 君の元に、帰るべき場所に戻るため
随分経っちまったな 最後に顔を合わせた日から
それでも君へと燃え上がるこの情熱に代わるもんなんてなかった

さあ乾杯しよう健やかなる時に 乾杯しよう病める時に
乾杯しよう 俺たちの思い出その全てに
乾杯しよう明日の日に 過ぎ去った昨日は流れゆくままに

今夜、またイチからはじめよう
まるで初心に帰ったみたいだよ
二度とこんな気持ちにはなれないさ
もう一度振り出しからはじめよう

覚えてるかい、あの頃の俺らに勝算なんてもんどれほどあったか
手の中には何にもなくて、でもそんなもんだと思ってた
とんだ長い道のりだったよな 長い、長い道のり

乾杯しよう支えてくれた古い仲間に
乾杯しよう 夢見る者に 色褪せぬ夢よ永遠なれ
俺らがそう信じれば 最高の時間はもうずっと俺たちのものだから

今夜、またイチからはじめるんだ
まるで初心に帰ったみたいにさ
二度とこんな気持ちにはなれないよ
仕切り直していこうぜ
生まれ直したみたいな気持ちだよ
仲間と共にあれば信じられるんだ 友よ
さあもう一度はじめよう

 

 

*1:

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*2:ユニバ=有名なテーマパークのことではなく、ボイメン界隈においてはUNIVERSAL MUSIC主催で行われるCD予約特典2shot会のこと。ここで指しているのは2018年11月10日、大阪ビジネスパークで行われたシングル「炎・天下奪取」予約特典2shot会。

*3:後でわかったことですが、翌日にゲスの極み乙女「ドグマン」のPV撮影が入っていた。


ゲスの極み乙女。「ドグマン」

*4:2017年から田中俊介を推すようになって、唯一若干元気のなかった接触が、2017年3月の春先とは思えない凍えそうに冷たい雨の降るツタエルトラベルDVD屋外サイン会。

*5:Twitterにアップしている接触絵日記、過去一度も話を盛ったことはなかったけれど、いま懺悔するとこの日のレポだけは少し嘘をつきました。レポには私に体調を気遣われたしゅんくんが目を瞑ってリラックスしてる風に描いたけれど、本当は、自身がファンの前なのにうまく体裁を繕えていないことを悟って、目を瞑りどうにか感情を整えようとしている様子だった。思い出しててつらい。あんな風に頑張らせたくなかった。

*6:

ameblo.jp

*7:今年2020年公開予定、映画「タイトル、拒絶」の準備期間だったんだと思います。撮影は2019年2月上旬。一足お先に東京国際映画祭で鑑賞しましたが、素晴らしい作品なのでおおいに期待してください。

*8:ボイメンの中でも際立って握手がソフトタッチなことにかけて定評のある田中俊介。蛇足ですが反対に手の骨砕けそうな握手をするのがテーマカラー赤色辻本達規

*9:確か笠原嘉「精神病」だったと思うんですけど自信がない。

*10:当時ちょうど封切られたところでした。

*11:北海道から沖縄、さらに韓国まで。私はさすがに全部は追い切れませんでした。無理しすぎてもいいことないからね。

*12:もちろん特定の推しがいない箱推しだったり2推し3推しということもあるけれどここでは割愛。

*13:

alpaquerque.hatenablog.com

*14:

stage.parco.jp

*15:

www.mhlw.go.jp

*16:

ameblo.jp

*17:

ameblo.jp

*18:

ameblo.jp